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『ステーキ』
自主映画
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返してきた。僕は曖昧な返事をしながら、その本の中、デッサンの精巧で美麗な世界を遠くに感じていた。それで彼女も、こんな遠くに行っちまうんだ、と漠然と思ったものだった。世の中で美しいとか強いとかいう物に威圧感を感じていたから。この話で僕が一つ誇れるものがある。彼女みたいな才能ある人間をずるい手口でどうにかモノにしようという、自分にないものを取り込んでいいフリこくという魂が目覚めなかった事だ。そんな事を考える僕、地下道の美術館。
「汚せる物があるってのは、心が落ち着きますよね」と石花君が言った。僕はチョコクロワッサンをかじりながら、「どういう事?」と大きく目を開いて無理解に訊き帰した。腹の中に何か入っているのってなかなか落ち着く。アンテナの一つを折り畳んだ気分だ。僕はお腹が空いていたんだな。
「いや、自分一人暮らしじゃないですか。だらしないじゃないですか。キッチンにきれいな食器が積まれていると、今日も明日も汚していいんだって」石花君が頬白んでいる。僕はそれが比喩なのだと気がついたけど、何も答えなかった。この店の喫煙ルームは狭いから、ほとんどすべての人の話が聴こえる。少し離れた席の女の子がタバコを吹かしながらだるくなっている。
「石花君の気持ち少し分るよ」と僕は切り出した。少しでもこの人の意識を柔らかくする事が、カントクの役に立つだろうと思ったから。「主役ってのは色々な物を持っていってしまうから。つまり石花君から物を奪っといてそのざまは何だ、何て使い方してんだ、どんな風にヤリ散らかしてんだ、と思うんだよね? 主役。いわば幸運だわな。自分の幸運を奪われて、もてあそばれて、汚くなって返ってくるのは誰でも嫌だわな。腹の底から幸運奪われる感じ。わからなくない」
「そうじゃ無いですよ」と石花君は返してきた。「身体の中にあの人がいるんですよ」
「え? 誰? シンジ君?」
「いや、分らないです。彼に呼応する何かがあるんです。自分の中。それが暴れ出すんです」
「その体の中の物は気持ちいいの」僕は少し的を外して訊いた。石花君は黙っている。だるい女の子はこちらを見ないように笑っている。
「多分あれですよ。あの人さえいなかったら……の類ですよ」
「そんなにシンジ君のこと嫌い? 生理的に?」
「何をどうやれば気にならなくなるのか知りたいですけど」
「体の中の物は、何か劣等的なこと?」と声をひそめて訊いてみた。
「そんなに簡単に人間の優劣が決まるんですかね」と怒られた。いけない質問だった。彼は年下なんだけどな。
「この世界の事はよく知らないけど、心が顔にきれいに出るのがやっぱり上なんじゃない?」
「俺は鈍くないっすよ。感じてないを感じてるんすよ。革命ですよ。本来備わっている感受性が踏みにじられている、その心の痛みがスクリーンに滲み出るんですよ。みんな『感じてる』を
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