自主映画
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お香の煙で光と影を象徴的に捉えてみよう」とカントクが言う。
神父さんが出てきた。「これでいいの?」詰襟の法衣。黒のロングコートを仕立て直して、襟を立ててもらった物らしい。頭には昔フランス映画で覚えた『ユダヤ教』の帽子。多分。僕はユダヤ教とキリスト教の違いを知らない。何せ自分の家が仏教であるのにその内容なんて全く知らないのだから。
ぼんやりと十字架を見ると、確かに美しい。キリスト教も仏教も知らないけれど、それに付帯した美しい物の数々は知っている。「恋だな」と思った。「あなたのこと何も知らないけれど、私 あなたのこと好きだわ」教義。美しい物に手を触れたければ、約束を守りなさい。そして恐らくは自分の何かを捧げなければ、その美しさの中にある何かを手にすることは出来ない。大抵の人の信心は鎖に巻かれる。信じる代わりに、何かを失ってしまうんだ。才能を信じて前に進む時、そこに足を踏み入れる前の細やかな機微を失う。カントクが言ってた。それは何故? 自分自身の中に神様に見せてはいけない、雑な日陰の部分があるから。ちょっと我の強い表現者は、それをあえて前面に押し出す。それを人は、人間臭い良い所って言う。それを認めるのが善? それとも出さないのが善? わかりゃしない。
さっき見せられた教会の写真。美しいそれは、見るだけで心に光差し、人間の至高の愛への希望に…希望に、道標に。
シンジ君と神父さんが台本を読み合わせている。
「運をたやすく使い果たすな。それは死ぬまでにゆっくりと削ぎ取られる。不釣合いな魂と肉体は運により結び付けられている。魂に余る肉体はどこからか光を集め、人に呪いをかける。肉体を超える魂はおかしみで人を惹き付ける。それを使い果たした時、人間は真実を知る。真実が喜びをもたらすか、失望をもたらすかは自分の選択しだいだ。真実を突き付けられるまで、ゆっくり幸運のスパイスを味わえばよい。つまりの事、幸運をむさぼり続ければ、その肉体と魂は乖離し二度とこの世の味を確かめる事は出来ないだろう」
「神を信じない自分にもその話は通じますか?」
「この世の誰かは、たやすく信じ、また誰かは、たやすくののしる。人間の中に『信じているのだから』という傲慢あらば神は遠ざかる。私達は人間の信心と押しくらべをしているようなものだ」
「この手の中にある運を手放し、新しい運をつかみにゆくとき、命を落とすかもしれません」
「命? 死、劣等、醜さ。すべて怖がるものにそれは襲いかかる。新しき運にそのすべてを赦す力あらば、命を失わないだろう」
「新しい運に赦しあらばですか?」
「『殺意』がもし遠くに届くならば殺意の手前に『赦し』あらわる。私達はそれに心を染めぬよう、遠くに運び続けなければならない」
「ここの話って『肉体を持っている事』自体が運ってことですか?」とシンジ君が訊く。
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