ある夜の話
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心が溢れる。応じて私も「ツン」となる。
「ねェ、ホントの名前なんていうの?」
男は考え込んだ。もしくは考え込んでいるフリをした。
「名前を知ることは、私の過去の人生をかじることになるけど」男は続ける。「名前の本当の意味を知るには君はまだ若すぎるし、私はその名前に少なからず満足している。自分の名前に満足しているのは可笑しいかい?」彼女は首を横に振った。「それをこわさないほうがいい」その言葉は男の中で真実らしく響いた。なんだか村上春樹みたいじゃないか。自分の過去の日々の密度を測ったが手触りはなかった。それは意識に触れてはいるが、力を失っているみたいだ。もし過去の日々の力を、それぞれに関わる人々から集めてこの意識に放り込んだら、私は瞬殺だろう。
金を稼ぐことを想うとき、私はよくこの事を頭に描く。原始の人間が一人、森の奥に勇気を持って踏み入り、高い木立に登り美味しい木の実を、又は、あまたある草の中から万病の薬草を持ち帰り仲間から褒め称えられ、上等な肉を食べさせてもらう。まったく金を稼ぐ基本ではないか。さっき帰った女の子は森の奥に入って行ったのだろうか? ここに来ること自体、森に足を踏み入れるという事なのか、それとも男を悦ばす身体を手に入れたという事が彼女の血族の旅なのか。彼女はコートを抱えて背中を丸めて帰って行った。その景色に何かを感じるべきなのかもしれないが、何も思いつきはしなかった。
そんな夜、増藻さんが私の部屋を訪ねてきた。新しい伝言係を連れてやってきた。事の後、シャワーは浴びておいたから大丈夫だ。新しい人間は馴染むまで少々時間がかかる。田舎から東京に出たことのある人間なら分ってくれると思う。つまり、空気が変わるときには用心しようという事だ。
この増藻という男は、元々チンピラだからか田舎者だからか、それともこの街で暮らしている不本意からなのか、顔から隙がにじみ出る。感情が表情によく出て、それが歳とともに固着してゆく。それが快い笑顔ならよかったのにね。
「いいヴィンテージのペルシャ絨毯がありますよ」増藻さんはこの冗談にいつも笑ってくれる。昔、二人でペルシャ絨毯のバッタもんを売ってしのいでいた事があったから。
「この壁の金庫には下に開く扉がありまして、そこから地下に二、三回ひっくり返って落ちてベルトコンベアーに乗ります。検査機に『不良品』としてはじかれなければ目的地に安全にたどり着きます」増藻さんがマネーロンダリングの話を心配していたから、こう話した。増藻さんは上手い比喩だと思って笑っていた。体を絞っているから顔には皺が多かった。「南国に行く」いつも言う口癖を新しい伝言係の前では言わなかった。その代わり資金洗浄の話を出した。もしかすると『俺たちは本物の悪だよ』と示しておきたかったのかもしれない。
昔、知人に連れられて行った後楽園ホ
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