カントクの話
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りしているだけだ。絶対的な幸福ではないよな。つまりは奪い合う事なんだな。そう想うと俺は、「奪うことなく上に行きます」と誓うんだ。撮影が決まると毎回そうだ。そう、神様に誓うんだ。何故『奪うことなく』という言葉が出てきたんだろう? よくわからないけど、すごくナイーブ。
街中のコーヒーショップで上着を脱いだら、雑菌の臭いがした。タバコと体臭と、雑巾の臭い。朝、シャワーを浴びてから随分時間がたつ。
ここで何度も役者と顔合わせをしたな。若いとき自分流の幸せをたっぷり手に入れた男。三十路もこえてひどく狭量だった。一見、ゆったりとして、ふところの深い人間かと思わせておいて、ツボを突かれると、あからさまに敵対心を燃やす。それを、若いと見るか、老いと見るか。怒ることも、狭いことも、若さではあるけど、彼のそれは『はく製』みたいだった。悪態をつかせてもらえば、それはナルシズムの変容だった。
俺は若いときの潤いを、言葉なり映像なりで、しっかり理解して固定できりゃ、彼の『はく製』みたいな、潤いらしきものを失うこともなかったのか。それは、永遠の青春みたいに、輝くのか? いや違う。少し離れた席に女が座っている。色気を出しながら、心はギュッと閉じている。俺がその体に興味を抱いている事を感じているのかもしれない。実際、粘るような色気があった。それを見ると色気と本人の意思は無関係なんだと思う。むしろ色気とは意思の届かない肉体を、何かに貸しているってことじゃないか? 誰が自分の魅力的な部分を、イタリアンを作るみたいに造れるというのだろう。つまりさ、若いってことは届かないってことだ。届かないところに魅力が宿るんだ。人間の理解力をこえた若さってやつを理論的に、または経験的に、若いときを模して『はく製』にしちゃいけないんだな。
冬だけれど体が熱いから冷たいカフェモカを飲みながら、事務所に置いてきた脚本を想えば、昔みたいなドキドキ薄れて、ただ世界に溶ける。一ページ目にタイトルがあって、二ページ目にキャストがある。マネージャーからキャストに渡ってゆくそれは、俺が世界に彫刻を刻むように、自分の意思を含んで現実に傷をつける。昔、積丹の神威岬の岩の上に書いた落書きよりは有益に彫り上げる。
怖いキャストに低姿勢。あそこの事務所には、昔、ワルでならした人がいる。さっきの『はく製』の人。俺はそれが「映画の真実味を増す」とか言って重宝がる。自尊心を傷つけなきゃ何てことない。そしてフィクションより面白くない武勇伝を聞くこと。「仲間と一緒に、『有力者』のふところに入って、ワルしたさ」という出来事なんかは、彼の表現力が足りなくて、何とも思えなかったけど。
「守られているのは、価値があるからだよね」
「なるほど」
それより大変なのは『石花君』だわな。前々回の時は、にやけながら女をナンパするキモい役
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