暁 〜小説投稿サイト〜
『ステーキ』
カントクの話
[2/11]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
っていけばいいのだろう?」なんて不安はよぎらないし、「大きな夢は捨てました。夢のある奴、税金払え。俺はもうやめたのだ。夢ってもんはたまに他人の迷惑になるから」という感じ。もちろん俺の感じたこと。でも、それって大事なんだ。カメラを回すようになって分った。顔の筋肉の歪みや、緊張、弛緩は本当にいろいろな意味を他人に与えてしまう。それによって人生は行き場所を変える。
俺のお陰でこの事務所の収入は上がっている。映像を撮るという名目で演技指導者を雇っては、また入所者から金を吸い上げている。そして俺が映像を撮り、それを宣材として売り込みにゆく。モデルになりきれない人達は、俳優に。少しの目くらまし。写真にキレイに写るより奥深い演技の世界は、彼らの中の内省的な部分を引き出してくれる。つまり、大人しくなるんだ。俺は、この事務所の安全弁の一つとして働いている。
「よろしく頼むわよ」という声に、「ハイッ! 大丈夫です!」と快活に答えた。まどろっこしい現実を吹き飛ばすには、体育会系が役に立つ

 北海道神宮の表参道。東京・青山の表参道。東京のそれは……明治神宮か。東京時代、「こんなキレイな所で撮るのは邪道だ」と思った。何の味もないじゃないか。人生ってのはもっと薄汚れているんだよ。何せあの表参道で演技しちまうと演者が浮く、くすむ、うそ臭い、馴染まない。でも今、あの華やかな光を受けて佇む寂しい人間を撮りたい。
 一度あそこで金持ちの息子相手にカメラを回した。ピカピカの車のボディーに映る人波を撮ったりして。BMWから颯爽と降りる彼に笑っちまった。
 東京で有名な撮影スポット。白いアーチのある戦火を逃れた建物で、学校の理系の友人から借りた白衣を着せて、工場群を後ろにスーツ姿の殺し屋を、上京したての18歳の絶叫をアメ横で。撮った。わからなくなった。それは燃えすぎた恋の遊びみたいに笑えたし、唾を吐きたくもなった。それは子供の玩具みたいに、ある日突然、雑な所が目に付いてしまって。
 心が渇いている。それは映像に良い影響を与えそうだ。心が渇けば潤いに敏感になれる。カメラが回ると散らばる、奔放な彼らの若い潤い。今なら「その想像力はいらない」と、彼らに言える。「その潤いは、もう通り過ぎたんだ。もっと、俺を喜ばす本当の潤いを」と。
神宮を参った。何も願わなかった。以前、宗教をかじったとき、「あの神様には、何でも願い事を言っていいんだよ」と言われたのを「何で?」と思ったからだ。人間と神様はそんな契約をしたのだろうか? 願い事をすれば叶えてあげましょうなどと。俺は想う。『願い事』なんてものは、所詮人間の世界の中でグルグル回る石油みたいなもんだ。ある人が手にした石油みたいなものは、いろいろなものに変わる。つまりはお金になったり、恋になったり。でもそれは他人とのつながりの中で右にいったり左にいった
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ