もうあえないかもしれないでしょ
こんなに綺麗にひかっているのだから、きっと、君は月の妖精なのだろう。
灯りのない部屋に今日も君はやってきた。
「なにか話してちょうだいな。」
青い闇のなかで君の白い足がぼんやり光る。
触れればきっと、さらさら水のように流れ落ちてしまうに違いない。
「わかった、何の話をしようか。」
「あなたの素敵だと思う話を。」
「では月の話をしよう。」
「それは、もう前に聞いてしまった。」
くすくすと笑う声が私の耳をくすぐる。
近づくと身を寄せて、私のために窓際の一角をあけてくれた。
「では何の話をしよう。」
月夜だから、レースのカーテンをひいていても窓辺はすこし明るい。
困って顔を伺うと、私を見つめる瞳と目があった。君の瞳は深い海の色だ。
「そうだなぁ、じゃあ月の話を聞きたい。」
「すでに話したと言ったじゃないか。」
当惑してしまう。君は同じ話を二度は聞いてくれない。
だから私は千夜一夜物語の語り手のように、たくさんの物語を用意して君を待っているのだ。
「いいの、その話が聞きたいから。」
そうして私は、月に住む蟹や神様に身をささげた兎や本を読む乙女の物語を語った。
話しているうちに夜は静かに更けていく。その間、君はほとんど身じろぎもしないで私の話を聞いていた。
「――これで、今日の私の話はお終い。」
「ああ、夜が明ける。」
白み始めた窓の外をながめ、君は立ちあがった。なめらかな衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
「それじゃ、さようなら。」
普段ならいつの間にか消えてしまうから、君の口から別れのことばを聞いたのはこれがはじめてだ。
何も答えない私を振り返った君の瞳はしっとりぬれていた。
「もう会えないかもしれないでしょ。」
そうか君は消えてしまうのか。
私は君を抱きしめた。
君は水になってしまわず、私の胸元であたたかく脈打っていた。
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