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王道を走れば:幻想にて
第四章、終幕 その2:峰を登り
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かな長髪に兎マークのヘアピン。これらの特徴を見て、慧卓はまたも自然と、この美しい女性が自身の恋人であると思い出したのである。

『・・・そういやそうだった。俺、彼女と付き合ってたんだっけ・・・確か、名前は・・・』

 ジューシーに蒸れる湯気を換気扇が吸っていく。程よい焼き加減となった肉を見ると、女性は一つ首肯してコンロの火を止め、くるりと慧卓の方へ視線をやった。それを受けて、まるで矢で射抜かれたように心臓の拍動が止まり、世界は急速に喪失されていく。香り立つ湯気や焦げ目の付いたステーキ、色彩鮮やかな台所や調理小物も、それが当然であるかのように違和感なく空漠の世界へと溶け込む。最後まで残った女性の瞳が慧卓の胸を捉え、まるで炎のように彼の記憶に刻み付けられた。色褪せる周囲を見遣りながら、慧卓は胸中の郷愁の念が強くなるのを感じていった。


ーーーーーー


 どこか懐かしい何かを垣間見たような、そんな奇妙な思いに囚われながら、慧卓は重たくなっていた瞼を開いていく。きらきらとした太陽の日差しが何処からか差し込んで、黒ずんだ茶褐色の天井と梁を明るくさせていた。ちらりと目を横にやると、水が入っているであろう木桶が置かれ手拭らしき布が掛けられていた。色彩鮮やかな世界に慧卓は、言葉で形容できぬような不思議な安堵感を覚えた。

「ってか・・・ここは・・・」

 慧卓は身を起して屋内を見渡す。見るからに、年代を感じさせる古さと住居の主人の優しさを思わせるような感じが混在した、木造一軒家であった。神棚のように小さな赤い祭壇が壁際に置かれ、居間の真ん中には紫のランチョンマットを乗せたテーブルがあり、それを挟んでベンチのような長い椅子がある。家の出口の近くにはどこか昭和期を彷彿とさせるような雰囲気の釜戸があるのが印象的である。他にも辺境の穏やかな民族生活を思わせるような家財道具が置かれており、慧卓を当惑させていた。
 その時、家の入戸が開けられ、白い肌と彫りの深い顔立ちの中年の男性が中に入ってきた。チベット民族を思わせるようなゆったりとして厚手そうなロープと、もこもこが付いたフードは防寒にぴったりの衣服であろう。彼は起き上がっている慧卓を見て目を開くと、外に向かって何かを叫んだ。

「Wocke'lla! Zo jamme diou ssa!」
「ああ・・・何て言ってるの?」
「ケイタク様!無事でしたか!?」

 聞き覚えのある声が耳に入ってくる。中年男性の後から入ってきたのは、優しさが全身から滲み出ているかのような黒髪の青年である。慧卓はそれを見て記憶の内に眠っていた一人のエルフの青年、つい最近跡取り競争に敗北して村から追放されたその人を思い出した。

「あ、あなたは・・・ソツ様!?」
「はは!覚えていただけるとは、感謝の極みです」

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