第四章、終幕 その2:峰を登り
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こうが諦めるまで絶対油断せず、このまま逃げなければならないだろう。そうでなければ忽ち熊の接近を許し、その爪の餌食となって雪原に赤いペイントを撒く破目となる。
一人と一頭は付かず離れずの距離を保ちながら、徐々に木立の出口へと進んでいった。足を後退させていた慧卓は、何時の間にか頭に雪が吹き付けるのを感じて更に動揺する。だだっ広い場所で熊と攻防する度胸など持ち合わせていないのだ。その時、突然、『ざくっ』と足を踏み外しかけてしまった。
「っ!」
倒れかけた態勢を引き戻しながら慧卓は後背を見て、慄然とする。叩き付けるような風が自由に吹き荒れる、崖の谷間がすぐ足下に存在していた。慧卓が踏みかけたのは崖の上にある雪庇だ。素早く態勢を立て直してなかったら、そのまま奈落の底へと墜落する危険があったのだ。
直後、一心不乱の熊の雄叫びが慧卓の意識を惹きつける。慧卓は全身を駆け巡る危機感から、ほとんど反射的に剣を振り抜いた。銀の刃が宙舞う結晶を裂いて、瞬く間に接近していた熊の側頭部に入り込む。しかし熊の疾走の勢いまでは止められず、毛深い巨体は腕を投げ出しながら慧卓の身体に覆い被さって押し倒す。熊の爪が左の二の腕を、掠った程度であるのに驚くくらい鋭利に引き裂いた。
「っぎぃぃっ!!」
痛みの視界が暗転しかける。両者の身体は縺れ合いながら、雪庇を大いに崩し、積雪のなだらかな斜面をなす術なく滑落していく。滑っていく場所から白い雪煙が巻き起こり、両者を包んでいった。ずるずると頭から慧卓は斜面を転がっていくが、途中何とか熊の頭から剣を引き抜いてその腹を蹴るようにして、拘束から逃れる。しかしその時身体を半分捻転したためか、今度は横向きに身体が落下していく。腕や足が胴体に巻き込まれるような感覚で慧卓は落ちていく。剣を握る事は適わず、視界の何処かを剣がひらはらと宙を泳いでいくのが見えた。
三十秒も落ちたであろうか、漸く斜面は平坦となっていき落下の勢いは静まっていった。反り立つような岸壁の傍において、漸く滑落は終わったのだ。慧卓は平衡感覚を完全に混乱させ身体全体にずきずきとした痛みを感じながら、面を上げる。明滅する視界を左右に振ると、それほど遠くない場所にもぞもぞと巨体の影が蠢くのを見つけた。
「くそ・・・」
このままでは拙い。熊に死んだふりが利かないはあまりに有名過ぎる話だからだ。腕からどくどくと血を流しながら慧卓は地面を這おうとするも、身体に力が入らずすぐに突っ伏してしまう。慈悲など見せぬ降雪が身体に覆い被さり、段々と眠気を覚えてくる。まるで脳を直接締め落としにきているかのような眠気である。それに抵抗する事も適わず、慧卓は瞼を徐々に閉じていった。
ゆっくりと黒く染まっていく意識の中、水面を揺らめく木の葉のように、不思議と存在感の
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