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無明のささやき
第三章
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、知るものはいなかった。
 飯島は章子から悩みを打ち明けられた。南に捨てられ、章子は、藁をもつかむ思いだったのだろう、あっさりと体を許し、飯島に婚約者との別離を迫ったのだ。飯島は、婚約者を取るか、それとも章子を取るか、当時、人知れず悩んでいたのだ。
 しかし、煮えきらぬ飯島に見切りをつけ、章子は突然、女房と別居中だった佐久間と婚約を宣言した。飯島は開いた口が塞がらなかった。急激に膨らんだ章子への思いは押さえがたく、その思いが一挙に萎んだ後の空しさは何とも耐えがたいものであった。
 章子の電撃的な婚約発表は、飯島にとって相当のショックだったが、それ以上に、飯島を動揺させていたことがある。それは章子が妊娠していたという事実である。飯島は、愛子が自分の子かもしれないという疑念を拭いきれなかったのである。
 ふと我に返りると、佐久間が何かぶつぶつと呟いている。
「俺が、リストラされた時、女房が言ったんだ。南さんに俺のことを頼んでみるって。あの人なら私の言うことを聞いてくれるはずだって言いやがった。貸しがあるってことだ。つまり愛子のことに違いないんだ。」
飯島は声を荒げた。
「それが、どうして、愛ちゃんのことなんですか。どうして南の子供だということになるんですか。僕を含めて、三人は同じ課だったし、気の合う友達だった。ただそれだけのことですよ、それ以上でも以下でもない。そのことは僕が一番良く知っている。」
 佐久間は愛娘を心から愛していた。かつて彼の机にはいくつもの写真が並べられていたものだ。その娘が自分の子でないと分かったらどれほど辛いだろう。子供のいない飯島にもそれは理解できる。まして、南の子だとしたら・・・。佐久間の恨み節は続く。
「あいつは、ずっと俺を裏切り続けていたんだ。それに、あいつは欲の塊だ。金のためなら何でもする。だから別れた。章子には絶望したよ。ほとほとね。」
飯島は、佐久間の大げさな言葉にうんざりした。何が欲の塊なのか。金のために何でもやるだって。章子はそんな女じゃない。佐久間は、章子を殊更貶(おとし)めようとしている。
「佐久間さん、考えすぎですよ。南に頼んでみると言うのは、かつて友人だったからでしょう。考えすぎもいいところですよ。」
「いや違う。あいつはずっと南の愛人だったんだ。間違いない。今にして思えば全てに合点が行く。月に一二度、どこかに行って行方不明だった。」
「佐久間さん、うちの女房なんて、年がら年中行方不明みたいなもんです。」
 佐久間が咳き込んだ。その空気の振動は澱み、濁っていた。苦しむ様子も尋常ではない。飯島は思わずその背に手を当てたが、佐久間はその手を払いのけた。佐久間は尚も咳き込み、もがき苦しんだ。長くはないと言った言葉に嘘はないのだろう。
 突然、佐久間が立ち上がると、右足を引きずりながらレジに向
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