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無明のささやき
第一章
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けでも奇跡的なことだ。とはいえ、わざわざ事件を起こすこともなかったかもしれない。飯島は自分の慢心を悔いた。  
 その事件とは、今年の春、部下の昇格人事で本社人事部と揉めたことである。本社人事部は、実績も人望もない或る男を支店の部長に押してきたのだ。しかし、飯島としては、支店の要のポストであるため、相応の実力者を据えるつもりで支店内部から名前を絞った。引くに引けない攻防戦だった。
 飯島は自分の主張を通したが、人事部長が、悔し紛れだったのだろう、最期に「南常務の推薦もあることですし、少しは考えて頂かないと…」という言葉を漏らしたのだ。よくよく考えてみれば、人事部が押した部長候補もそして石倉も、南の後輩だった。
飯島は会社の為という大義名分を振りかざしたが、日本的村社会では理不尽がまかり通るのも事実だ。東京支店の業績を伸ばしたという自負が、社会人としてのバランス感覚を失わせたのかもしれない。 
 いずれにせよ、飯島の性格からいって、首切りなど不可能だった。その意味から言えば、石倉の飯島に対する評価は正しい。飯島は、石倉の見込んだ通り、いずれ辞めざるを得ない事態が来ることを予感した。飯島はその日酔いつぶれた。

 関東資材物流センターでの最初の朝礼は、朝8時半に始まった。司会は竹内の腰巾着であった副所長の斎藤である。新体制を迎えるに当たっての決意表明を長々とまくし立てている。額には玉の汗だ。
 斎藤は飯島より8歳ほど年上である。巨漢の割りに気が小さい。時折、眼鏡の奥からこずるそうな視線を向け、飯島の反応を盗み見ている。飯島は斎藤の必死の形相を見て、生き残りに賭ける哀れなサラリーマンを見た。
 斎藤とて、会社のさじ加減一つで向こう側に立つことになるのである。飯島は、その最初の挨拶のなか、竹内にふれてこう言ってみた。
「さて、私は、前任者の竹内さんとは名古屋で3年間一緒に働きました。尊敬もしていました。そして竹内さんの後任として、同じ苦悩を共有することになりました。今回の竹内さんの不祥事はその苦悩の結果だったのかもしれません。」
 これを聞いていた多くの社員から失笑が漏れた。飯島も思わず笑った。誰でも知っているのだ。竹内の女癖の悪さを。
 飯島の建前だけの言葉など聞く耳を持つ者はいない。飯島は話の途中から皆に共感を覚えた。と同時に、飯島のやるべき仕事に思い当った。彼らは、昔、凄腕の営業マンだった。時代は厳しいが、出来る営業マンであれば就職先はある。
 まして飯島が懇意にしていた取引先は二百社を下らない。飯島の顔が自然にほころんだ。話しながら、飯島は、二人の男を捜した。300名近い人々の中に、その二人の人間を探す。いるはずである。飯島の視線はあちこちと揺れた。
 その男と目が合った。飯島の笑みに応えるように薄笑いを浮かべている。かつて南と常
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