第四幕その一
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第四幕その一
第四幕 監獄にて
死刑判決を受けたシェニエはサン=ラッザーロの監獄に捉われていた。ここは政治犯を収容する監獄である。ここから多くの者が断頭台に最後の行進を行っている。
「政治犯か」
その中の一室にいるシェニエはふと呟いた。
「革命の時には最も忌み嫌われたものだが」
かっての王政下では政治犯はバスティーユの監獄に送られ、そこに収容されていた。実際には政治犯は殆どおらず中にいるのは裕福な貴族の者ばかりでその待遇も決して悪くはなかった。サディズムの語源として知られる作家にして稀代の偏執狂的性愛者マルキ=ド=サド侯爵もここに収容されていた。
「あの頃より遥かに酷い。これでは太陽王の治世の方が遥かにいい」
ルイ十四世である。長きに渡ってフランスに君臨した国王である。絶対王政の熱烈な信奉者でもあった。
絶対王政には批判も多い。だが国王やその側近達がこれを採ったのには理由があった。それは貴族達を抑える為である。
欧州は伝統的に貴族の力が強い。かっては国王も彼等の同僚に過ぎなかった。それが徐々に王権を伸張させていくにあたって多くの血が流れた。
フランスはそれに成功した国であった。カペー朝の尊厳王フィリップ二世からはじまりそれは絶え間なく続いた。
その総決算とも言えるのがルイ十四世の発言であった。
「朕は国家なり」
一見傲慢ともとれる言葉である。実際に彼は多分に不遜な部分の多い人物であった。だがそれだけでこの様な発言をする程彼は愚かではなかった。そうでなくて誰が太陽王と呼ぼうか。
彼はこの時国家の全権を掌握したと宣言したのだ。貴族の力を全て抑えて。王権神授説にしろ絶対王政にしろ国王に権限を集中させ、強力な中央集権体制を確立し、国家の安定を図る為であったのだ。
そこから啓蒙主義等がはじまると言ってよい。強力な国家の存在があってはじめてそうした主義が芽吹くものなのであるから。プロイセンにしろロシアにしろオーストリアにしろそうであった。これ等の国々で啓蒙専制君主が出たのは彼等にそれだけの力があったからだ。無論彼等自身の能力も大きく関係していたが。
「フリードリヒ大王、エカテリーナ二世、ヨーゼフ二世」
シェニエは彼等の名を呟いた。皆欧州にその名を知られた君主達である。だがその啓蒙思想の本場であるフランスではその様な国王は出て来なかった。それがフランスの不幸であった。
「ルイ十四世の頃はそれでもよかった。だが時代は常に動く」
そうであった。宮廷でそれを理解している人物は誰もいなかった。文化は爛熟してもその政治は旧態依然としていた。
「それは改められるべきだった。だが」
彼は牢の外を見た。鉄格子越しに中庭が見える。
「血により支配は何としても避けなければな
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