第十五章 予言の神秘
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石井はエドガー・ケイシーを高く評価するあまり、その否定的側面を記憶の外に追いやっていた。エドガー・ケイシーは、1998年までに日本は沈没すると予言し、それを下敷きにして小松左京は日本沈没というSFを書いたと言われるが、未だ日本は無事である。
これだけではない。第二次大戦における日本の軍事行動に関しても、オーストラリアを攻撃するとか、米国本土を爆撃するとか、その殆どの予言がはずれているのである。まして日本人を蔑称であるジャップと呼称した。
明らかに、その時、エドガー・ケイシーの口を借りた霊は日本人に悪意を抱いている。もしかしたら、教祖の予言の源も同じような霊なのではないか。であればまたはずれる可能性がある。いや、今度が本番で、ケイシーは時期を間違ったのか。
もう一つリーディングが裏目に出た事例がある。それは、エドガー・ケイシーの能力に目をつけた資本家が、共同事業や多額の報酬を持ちかけ、油田発見、投資、不動産投機についてのリーディングを依頼したのだ。この時、彼のリーディングはことごとく外れて資本家の目論見は頓挫してしまった。
このことがあってケイシーは「私はすべてのひとを助ける得るようだが、自分だけは・・・」つまり、その能力にによって自分を利することは不可能であること、そして人を助けることと「物質的利益を得ることは両立し得ないことを悟るに至った。」と語っている。
とは言え、油田発見や投機のリーディングの時にも、間違いなく眠れるケイシーに霊は降りてきて、どこそこを掘れとか、あの株は間違いないぞとか発言したのだが、その霊がフィジカルリーディングやライフリーディングの霊と同じとは思えない。
スエデンボルグはこう言う。「この世の人間は天界とも繋がっているが、同時に地獄界とも繋がっている。」と。エドガー・ケイシーの「予言」を語った霊はどちらから来たのか。人々に恐怖の種を撒き散らしたとうことを考えれば地獄、或いはそこに近いところから来ているのではないか?
ふと佐々木が言った一言が脳裏に浮かんだ。「未来は神の領域」という言葉だ。そうだ、未来は神の領域であり、霊の領域ではない。憤然とそう思った。神は万物を創造されたのだ。霊は、スエデンボルグも言っているが元々は人間である。天使も悪魔もである。
元来、人も動物も神から出たのだ。だとしたら、個の生き死に、或いは種の滅亡、全ては神の領域に属する出来事だ。その時に誰が死に、誰が生き残るかは神が決めることだ。霊やまして人間が関わることではない。
すーと肩の力が抜けていった。そうだ神に委ねればいい。死ぬまでせいぜい全力を尽くす。五十嵐に会えるか否かそれは分からない。でも、今の石井は五十嵐を探し出すことに全力を尽くせばよいのだ。
いきなりトラックが止まった。見ると寂れた倉庫の一角だ。横尾が降り立っ
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