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愛しのヤクザ
第十七章 転勤
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行回りでお疲れでしょうから、アイスコーヒーでも」
 一挙に優位な立場にたって興奮気味ではあるが、石田は気を落ち着けることにした。コーヒーは喫茶店で週刊誌を読みながら二杯も飲んできたが、向井の哀れな顔を見ればむげには断れない。深いため息とともに立ち上がった。
 二人が事務所を出ると、林田は金庫を個室に運び元あった場所に戻した。鍵をかけ、何食わぬ顔で事務所に戻った。林田はまた新たなアイデアを考えなければならなくなった。もう時間もなく、石田という邪魔が入った。
 金庫を開けるのを諦めるとなれば、残る手段は強奪しかない。林田は一瞬手錠をかけられる自分の姿を想像し、ぶるっと震えた。完全犯罪でなければならない。ふと、清水の顔が浮かんだ。清水は遅番だからアパートにいるはずである。林田は携帯を取り出した。

 山本は思ったより早く到着した。いそいそと石田が個室にお茶を運んで行った。向井と林田はその後ろ姿を見て固唾を飲んだ。個室に忍び込んだ痕跡が残っていないか不安だったのだ。しばらくたったが、二人は籠もったままだ。
 林田が「どうやら大丈夫みたいですね」と言って向井を見た。向井も大きく頷いたが、その目が大きく見開かれた。振り返るとドアが開き、石田が出てきたのだ。その顔は青ざめ失望の色は隠せない。山本から事の次第を聞いたのだ。
 お盆を胸に抱き、よたよたと歩いて来る。そして不安そうに見詰める二人を見つけると、きっと睨み付けた。二人はその形相に息を飲んだ。石田が叫んだ。
「あんた達、よくも騙してくれたわね。おかげで何もかもめちゃくちゃだわ。いい、部長も言っていたけど、絶対にこのお礼はするそうよ。お前達がこの会社にいる限り、絶対に浮かび上がらせない。お前達には未来はない。覚えておくことね」
石田は途中から山本そのものの言い方になっていた。そして山本が出てきてまだ口汚く罵る石田の肩に手をやった。そして言う。
「おいおい、もうその辺にしておけ。こいつらには言葉ではなく、現実でもって分からせてやる。この俺に逆らえばどういうことになるかをよ。お前達には残念だろうが、すんでのところで罠には嵌らなかった。いいか、レースは始まったばかりだ」
 こう言い残すと、事務所を後にした。左肩にバッグを吊して歩いてゆく。二人は尚も唇を震わせ面罵する石田を無視して、山本が事務所のドアから消えるのを待った。そして消えた瞬間、石田を押しのけ事務所を出た。出た途端走り出す。駐車場の見える二階の社員食堂まで一気に駆け上がった。そして駐車場を見下ろした。向井が震える声で聞いた。
「こんなことをして本当にいいんだろうか」
「支配人、もうそんなことは言いっこなし。賽は投げられちまったんですから」

 山本が歩いて行く。黒塗りのベンツまで50メートル。清水の姿が見えない。いったいどこにいるのだ。
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