第五章
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「牧場娘の服似合ってたしな」
「というか二人共自然に西部劇の中にいたな」
「いや、アフリカ系がそもそもそうじゃないか?」
「西部劇の世界に普通にいられないか?」
「自然にな」
彼等はこのことに気付いたのだ。
「白人だけじゃなくてな」
「流石に日本の侍が西部劇にいたらちょっと違うかも知れないがな」
三船敏郎の映画で実際にあった。これはこれで面白いが。
「中国の格闘家が来たこともあったな」
「ああ、あの俳優な」
香港出身の愛嬌のあ顔の俳優だ。スタントなしのアクションで知られている。映画の最後にはNGシーンの特集だ。
「あれもよかったけれどな」
「どっちもやっぱり話題優先だったからな」
「西部劇に異国のヒーロー乱入でな」
「けれどこの映画はな」
アフリカ系の西部、それはというのだ。
「絵になってたな」
「自然にな」
「本当にナチュラルな感じで」
「違和感なかったな」
「そういえばあの監督言ってたよ」
ロフティングの言葉も思い出される。
「実際はカウボーイの三分の一がアフリカ系だったってな」
「へえ、そうだったのか」
「三分の一もいたんだな」
「アフリカ系の騎兵隊の部隊もあったしな」
こうした部隊も本当にあった。
「それにアフリカ系のガンマンとかもいて」
「何かこれまでの西部劇と全然違うな」
「イメージ違ってきたな」
「昔の役者や製作者は白人だけだったからな」
かつてのハリウッドはそうだった、白人主義の結果でありこれは二次大戦が終わってからもキング牧師やマルコムエックスが出るまで続いていた。
だがそれはあくまで映画のことであり実際は、だったのだ。
「違ったんだな」
「あの監督それを再現したんだな」
「そういうことだな」
その現実の西部劇をだというのだ。
「だから自然だったんだな」
「映像や演出や脚本だけでなくて」
「主役や脇役の演技だけじゃないか」
オッドマン、パーカー以外の脇役にもアフリカ系は多かった。ヒスパニックもだ。
「元々がそうだからなんだな」
「絵になっていたか」
「自然だったんだな」
皆このことに気付いた、無論作品の出来もよかった。
映画の評判はかなりのものだった、現実の西部を見せたとまで言われた。収益もかなりのものでこのことでも満足のいくものだった。
その大好評の中でだ、ロフティングはコルチェンコに笑顔で話した。
「なっ、成功したろ」
「うん、本当にね」
コルチェンコも確かな顔で返す。
「上手くいったね」
「僕の言った通りだろ」
「自然だったし。実際がそうだったからだね」
「過去のものでも実際のことは自然に見られるんだよ」
そうだというのだ。
「あの映画みたいにね」
「そうだね、僕も知らなかったよ」
「僕もだ
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