第四幕その五
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第四幕その五
「実に多くの世界を」
「そうだ。しかしだ」
「しかし?」
「この世の幻想も見た」
それもだという。
「そして飛び行く欲望の髪を捕まえてきた」
「愛の歌よ」
メフィストもここで言う。
「魅惑と栄光の記憶よ。あの誇り高い魂を滅びへと連れ込むのだ」
「多くのものを見てきた」
「博士」
ファウストに対してさらに言ってきた。
「それでなのですが」
「うん、一体」
ファウストは物思いに耽ったままだ。彼の方を見ようとせず背を向けたままである。
「何なんだい?」
「貴方は欲し楽しまれましたね」
「そうだったな」
昔を懐かしむ言葉を出しはした。
「思えば」
「しかしまだ言っておられませんね」
「何をだい?」
「あの言葉をです」
それをだというのである。
「過ぎ行く瞬間に向かって」
「その言葉は」
「止まれ、御前は美しい」
この言葉であった。
「この言葉をです」
「私はあらゆる人間の神秘を味わったが」
ファウストの言葉には明らかに『だが』があった。
「現実も理想も乙女の愛も」
「まさに全てをです」
「だが現実は苦しみであり理想は夢だった」
そうであったと。遠いものを見ながら語るのであった。
「人生の最後のそのまた最後の時に踏み込んで」
「それからは?」
「つまり夢の中で魂は既に喜びに浸っている」
「ではあの言葉は」
「しかしだ」
また言葉を暗転させるのだった。光から闇へ。
「無限の広がりを持つ静かな世界の王」
「それが貴方だと」
「私は豊かな実りを産む人々にだ」
その彼等に思いを馳せてである。
「この命を捧げたい」
「そうしたことをして何になるのですか?」
「私は賢明な規律と共に多くの人々や羊達、そして家や畑や町が生まれ出ることを望む」
「創造ですか」
それについては何の意味も持たない、メフィストは悪魔としてそれを否定しようとした。実際にその言葉にはシニカルなものを含ませてきていた。
「そうしたものはです」
「意味がないというのだな、君は」
「全ては美しい破壊の後にあるのです」
こう言うのである。
「既成のものを全て壊してです」
「壊すことはない」
ファウストは前を見ながら述べた。
「それはだ」
「ないというのですか?」
「そう、ないんだ」
あくまでこう言うのだった。
「この夢が私の生涯の聖なる歌であり最後の希求であることを」
「どうだというのですか?」
「それを望んでいるのだ」
これこそが今のファウストの望みであった。
「私は私の夢が人生の聖なる歌であることを望んでいる」
「嫌な予感がする」
メフィストはそれを聞いて首を捻りだした。暗い顔になってである。
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