第二章
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広がってゆく。その心地よさは、石田の別れた女房と出来てしまったことに対する疚しさと、心をくすぐるような優越感を伴っていた。
榊原にとって石田は心に秘めたライバルだった。最初に会ったときから劣等感に苛まれた。本人は千葉出身だと言い訳したが、当時の榊原の感覚では千葉県も東京の一部なのだ。気後れした自分を隠すためにことさら胸を張り、鷹揚に振舞った。
この瞬間から、榊原は生まれ変わったのだから運命とは分からない。柔道一筋の陰気な田舎者が豪放磊落な若者の仮面を着けたのだ。しかし、それは誰にでもあることで、理想とする人間像を描き、それに近づこうとするのは、一種の向上心とも言える。
また、石田から幸子を紹介された時の衝撃はいまでも瞬時に蘇る。女っけのない生活を送っていた榊原にとって、幸子はとうてい手の届かない、いわゆるお嬢様タイプだった。その彼女が石田の同棲相手だと知った時の驚きはただごとではなかったのだ。東京人にはやはりかなわない。それが偽らざる心境だった。
石田が生ビールを注文し、隣のストールに腰掛けると、榊原は幾分上気した声で話しかけた。
「で、どうなんだ。奥さんの行方のほうは。」
顔を曇らせて、石田が答えた。
「さっぱりだ。今日は、高校と大学が一緒だったという甲府の女を訪ねた。以前電話で問い合わせした時、ちょっとひっかかるところがあって、女房のことを何か知っているかもしれないって、勝手に思い込んで、会いに行った。」
「それで。」
「何にも知らなかったよ。それより、かつての親友の凋落ぶりと失踪に興味があるらしく、根掘り葉掘り聞いてきた。」
「あの倒産事件は、地方紙にも載ったからな。取り込み詐欺の典型だ。あんな手口に引っ掛かるなんて、義理の親父さんもよっぽど焦っていたんだろうな。」
「ああ、親父の会社はあの事件がなくとも、遅かれ早かれ倒産しただろう。今時、宝石の卸し商なんて割りの合わない商売だよ。」
甲府にある石田の女房の実家が倒産したのは半年ほど前のことだ。そしてその両親と共に、女房の亜由美、そして愛娘である5歳になる知美も失踪した。そして石田名義のマンションは抵当に入っており、明渡しが迫っていたのである。
亜由美が抵当証書に石田の実印を勝手に押したのだ。石田の歪んだ唇から深い溜息とともに言葉が零れた。
「あいつは、最後までお金持ちのお嬢様を演じたかった。だから実家が潰れるなんてプライドが許さなかったんだ。俺よりそのプライドを選んだわけだ。まったく馬鹿な女だ。」
「プライドだけじゃあるまい。親父さんの窮地を心底救いたかったのさ。お前に合わせる顔がありませんって書置きした奥さんの気持ちを思うと、本当に可哀想だよ。失踪するその日の朝、どんな思いでお前を送り出したか。」
「ああ、離婚届に判も押して
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