第八章 望郷の小夜曲
第三話 凍える湖
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いたが、窓から差し込む星光が、中天に座した双月の光に変わる頃、アンリエッタの手が動いた。
カサリと乾いた音を立てながら、紙束を掴んだアンリエッタは、それを月明かりに照らしながら読み始める。
戦死者名簿に記載された者の数は多く、一人一人の名を覚えることは出来ない。
それをアンリエッタは、名簿に記載された者の名前を一人一人口にしながら読み進めている。
名前を読むのではなく、呼びかけるように口にし、その者が確かにこの世界で生きていたことを胸に刻み付けた。
名前を呼びながら、心の中でその相手に赦しを請おうしたが、死に追いやりながら、赦しを乞うなど許される筈がないと思い止まる。
赦して下さい……ですか。
許される筈のないことに対する赦しを乞う……それは、初めてではない。
何も感じなくなった筈の心に、柔らかな暖かい光りが小さく灯る。
誰もが、自分でさえ自分が赦せなくとも、赦してやると言ってくれた人がいた。
わたくしを女王ではなく、ただ一人の少女として見てくれた人。
救い、赦してくれた人。
大切な友人の使い魔。
今でも鮮明に思い出せる、あの時、震える身体を抱きしめてくれた力強い腕の力……身体の熱さ。
溶けてそのまま一つになってしまいそうなほど、熱く甘い口づけ。
崩れ落ちかけた心が、柔らかなものに包み込まれる。
冷え切った身体に、死者に引きずられ、自分もまた冷たい死者になりかけていた身体に微かに熱が灯るのを感じながら、アンリエッタは戦死者名簿を読み進める。
どれだけの時間が経ったのだろうか。
ただでさえ数の多い中、一人一人の名前を口にしながら紙を捲っていたことから、最後の紙を読み始める頃になると、窓から覗く空は白み始めていた。
アンリエッタは月光ではなく、朝日に照らされる紙に記載された名前を読み進めている。
「―――リア・カレント……エミ―――」
しかし、それまで淀みなく読み勧めていた筈の口が、最後の一枚の末尾に書かれた名前が目に入った瞬間止まり、力が抜けた指の隙間から手に持った紙が床に落ち始め、後を追うようにアンリエッタの身体が床に崩れ落ち始めた。
戦死者名簿の最後の一枚。
その最後に書かれた名前。
その名が目にした時、微かに灯っていた筈の暖かさが消え。
心と身体が凍りつく。
意識が……心が深い……深い穴の中に落ちていく。
抗う気力も意志もない。
急速に闇に沈み始めた意識の中、アンリエッタが最後に口にしたは、
「―――エミヤ―――シロウ」
唯一人、赦すと言ってくれた人の名前であった
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