第一章
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黒服だらけで、それはそれで満たされた気分だったやもしれん。俺達は黙って箸を置くと、勘定を済ませてとぼとぼと店を出た。…花冷え、というには少し遅いが、春らしからぬ冷気が、暗闇と一緒に俺達を押し包んだ。
神田川沿いをゆっくりと歩きながら、下宿へ向かう。別れ際に佐々木に押し付けられた姶良の鍵を、右手で弄びながら。…もう、笑いながら返すわけにはいかなくなった。独り者の鍵と、そうでない者の鍵とでは重みが違う。
少し考えて、右手を大きく振りかぶった。
鍵は空中で、僅かな街灯の光を捉えてきらきら光りながら放物線を描き…その光が消えた頃、ぱしゃり、と水がはねる音がした。
―――わびしい。
水の音を聞いた途端、心がへし折れそうな自分に気がついた。
…何がそんなにショックだったのか。後輩に彼女が出来ることなんて、よくあることだ。もう慣れたと思っていたが。
じゃあ、柚木をゲットした事か。…いやちがう。
こんな形で、知ってしまった事。…そうだ、それだ。
ランドナーを継承した事や、何か知らんが一緒にピンチを切り抜けた事で、俺は奴とは何か特別深い縁が出来たものと思っていた。のっぴきならない悩みも、嬉しい報告も、まず俺と分かち合ってくれるんじゃないか…と、勝手に勘違いしていた。
あぁ…呪わしい勝手に勘違い。
勘違いの恥ずかしさに胸をかきむしるような油っ気も、最近は消えうせた。ただただ、重い溜息に紛らわせて忘れるだけだ。…忘れることだけが妙に上手くなっていくな、俺よ。
川沿いの公園で足を止め、くしゃくしゃになった煙草の箱を取り出す。ここは禁煙区域だが構うものか。こんな時間、こんな寂れた公園…誰も通らない。そう思い、火を点した。
…ふと、鼻息のような、吐息のような、おかしな音が耳を掠めた。
音のする方に目をやると、ちかちか点滅する街灯に照らし出されたベンチに、黒いものが寝そべっていた。なんだ、浮浪者かと一瞬思ったが、どうも様子がおかしい。一箇所だけ、もぞもぞ動いているのだ。…胸騒ぎがする。
「ぐ……」
寝そべっているものが、声をあげた。意外にも若い女の声。街灯が照らし出す女の髪も、よく目をこらすと光をきらきらと照り返す、上等な毛だ。…なんといったっけ。あれだ。キューティクルというやつ。じゃ、あの鼻息は女のか?…いや、ちがう。あれは鼻息じゃない。へっへっへっへ…そう聞こえる。
放っておいて帰ってもよかったのだが、何だか嫌な予感がしたので、そろりそろりとベンチに近寄る。水飲み場で漏れた水を舐めていた猫が2匹、逃げた。
「へっ…へっへっへっへ…」
もぞもぞ動いていたのは、中型の雑種犬だった。…首輪がついてない。この女の飼い犬というわけではなさそうだ。
犬はへっへっへ…と荒い息をしながら、女の手首や二の腕をためらいが
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