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河童
第二章
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「うーん、なんだろ、お父さんの靴…かな?」
なんだか分からないフリをするしかなかった。
「ふぅん…」
いっちゃんの目が、すっと細まった。そのまま、まるで何も見なかったみたいに立ち上がり、私のほうをちらっと見た。
「じゃ、アイスの前に手ぇ洗うがー」
背中をイヤな汗が伝った。…まさかダメとは言えない。笑顔のまま凍りついていると、いっちゃんは無邪気に洗面所のドアを開け放った。
「わー…これ、なんけ?なんか悪かもん、閉じ込めたごたる」
「開けちゃダメ!!」
悲鳴に近い声が出た。いっちゃんがびくっと首をすくめて振り返る。
「ぅわっひったまがった!なんね、流迦ちゃん」
「う…その」
「これしたの、流迦ちゃんけ?」
浴室のドアに刺さったデッキブラシを、不審げに眺めまわしている。…うん、なにこれ、すごい不審。咄嗟のこととはいえ、何で私こんなことしちゃったんだろう。
「えと…えと…でっかいカマドウマがいて…」
……それだけ!それだけのことなの!だからもうデッキブラシのことは忘れて!
「はははは流迦ちゃん、ひっかぶいじゃな。よかけん、ぼくが追っ払ってやるが」
あぁん、まずい、男の子的使命感を刺激しちゃった!!…どうしよう、どうしよう、どうしよう…浴室に変な男が立ってたら、いっちゃん超びっくりするだろうなぁ…というか、こんな状況がお父さんにバレたら…最低でも、夏休み中自宅謹慎だろうなぁ…。
「んー、がんこなブラシじゃ。流迦ちゃん、これどうやって刺したんけ?」
なんか周りの景色がぐるんぐるん回り始めた。洗濯機に手をついて顔を伏せる。もう見てらんない。やめて、やめてってば、ちょっとほんとにやめて―――。
「どげんしたね、流迦ちゃん。顔真っ青ばい。夏バテ?……あ、とれた」

……きゃああぁあぁぁぁ!!

「―――カマドウマ、おらんがね」
いつもどおりの、いっちゃんの声がする。洗濯機に伏せてた顔をあげて浴室を覗く。一応、浴槽と天井も確認する。
「―――いない」
シャワーを使ったあとの、まだ湿っぽい浴室。…からっぽの。
強い日差しといっしょに、生暖かい風が吹き込んできた。ふと視線をあげると、半分開いた浴室の窓。
「逃げたかぁ…」
「ずいぶんジャンプ力ばあるカマドウマじゃ」
助かったけど。
逃げるのは、当たり前だけど。

河童は本当に消えてしまったような、ただの夢だったような、そんな気がした。

日向の匂いが、私のわきをすり抜ける。アッイスッ、アッイスッとリズミカルに口ずさみながら。
…ふと、玄関のほうに目をやる。逆光でよく見えないけど、あの汚いシューズは、なくなっているような気がした。…蝉の声が、遠く聞こえる。

それは私の日常。結局なにも変わらなかった、私の毎日。




「…でね、ラジオ体操の帰り
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