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万華鏡
第二十四話 難波その八

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 難波グランド花月の方に行く、その入り口の上にはこれまでの吉本を支えてきた様々な芸人達の絵がある、ただし目は描かれていない。
 その中のある二人を見てだ、里香はまた寂しそうに言ったのである。
「まだね、生きていたかもね」
「今生きていたらお幾つだったかしら」
「まだ七十にもなっていないわ」
 それ位だというのだ。
「本当に若くしてだったから」
「肝臓壊してね」
 景子も寂しい顔で、晴れた夏の青い空の下には似つかわしくないその顔で見上げながらそのうえで言ったのである。
「それでだからね」
「今もちゃんとしていれば」
 人間としてという意味での『ちゃんと』である。
「この中でね」
「漫才やってたかも知れないのね」
「今だって」
「残念よね、本当に」
 里香はこうも言った。
「いなくなるなんて」
「だよな。それにしても他の絵の人達もな」
 美優はその漫才師以外の他の面々の絵も見て言う。
「吉本にとっては、だよな」
「そう、支えてきたね」
 まさにそうしてきたと話す里香だった。
「伝説の人達よ」
「吉本って売れないときついんだよな」
「お金出さないわよ」
 それで有名な事務所だ、それを宣伝にしているところもある。
「大阪っていうよりはね」
「それが方針だよな」
「昔からのね」 
 それこそ創業以来の伝統である。
「もう戦前に出来た頃からの」
「ある意味凄いよな」
「吉本はね」
「どうなんだって言う人もいるよな」
「極端過ぎるから」
 その極端さも宣伝になるから確かに凄くはある。
「芸人の道は厳しいっていうけれど」
「お笑い芸人はか」
「漫才でも落語でもね」
 そしてテレビで笑いを見せることもだ。
「やっぱり厳しいっていうけれど」
「吉本って若い芸人さんどうやって食べてるんだろうな」
「あっ、アルバイトに」
 まずはこれだった。
「それと先輩、儲けてる人がね」
 そうした人がだというのだ。
「御飯食べさせてくれるから」
「だから生きていられるんだな」
「極端なギャラでもね」
 売れればあがる、確かにわかりやすい。
 そうした話をしてそしてだった。
 五人は中に入り横一列に並んで座る、そしてだった。
 五人で開幕を待つ、そうして出て来た若手の漫才を見てまずは景子が言った。
「ううん」
「ううんって?」
「そこそこかしらね」
 今の芸はだというのだ。
「これだと」
「やすしきよしと比べたら」
「どうしても」
「懐古趣味じゃないけれど」
 里香はこのことは断る、そうした趣味では前に進まないのではないかと自分で思ってそうした考えは否定しているのだ。
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