水と人類
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1つは殷の時代のこと、殷には灌漑工事の跡が一切見られなかった。それは灌漑工事などが必要なかったということ、充分に豊かな自然が有ったということだ。また、殷の王がアジアゾウの狩猟を楽しんだという記録が発見されている。すなわち、そこにはアジアゾウが生息出来るだけの充分な植物があったということなのだ。
では、その様な大量の自然がどうやって砂漠になってしまったのか。その理由の一つが戦争だ。戦うには武器がいる。その生成には鉄をも溶かす高温の炉が必要であり、炉を高温に保つには大量の木材が必要となるのだ。更には始皇帝が作った兵馬俑には8000体以上もの兵隊の形をした焼き物がある。それらを焼き上げるためにも想像を絶する量の木材が必要になったことだろう。これ以外にも木材の用途は多岐に渡り、文明の発展とともに大量の木材が消費されていったのだ。
その結果生まれたのが黄砂の原因でもあるゴビ砂漠。その砂漠の砂が、黄河を黄河たらしめる色を着けているのだ。
こうして1つの緑が砂漠へと姿を変えた。結果黄河流域は度重なる大洪水に見舞われることとなる。この事態に秦の国民はどう対処したのか。当時の王朝は更に大規模な治水工事に取り掛かった。秦はこれを龍の怒りと表現し、恐れ、治水工事を行った者は龍を退治した英雄とされたのだ。
このことから我々が学び取ることは、なにも水害を恐れる心を持つことではない。奏は治水工事を通して国民からの支持を見事に得た。そしてこれは、国民の誰もが黄河の氾濫を知り、その危険性を危惧していたからこその結果なのだと、私は思う。
今現在、当時よりも遥かに大量で正確な情報伝達が可能なこの時代で、タイのプミポン・ダムの放水による被害のことを一体何人の人間が知っているのだろうか。一見害の水であっても人類に警鐘を鳴らしていた益なる水害に、一体何人の人間が気付いたのだろうか。
事態は既に予断を許さない状態になりつつある。悠長に構えていてはならない。警鐘の音の中に手遅れという言葉が見え隠れしていることを見逃してはならないのだ。
我々にとって水害は、そこからより多くのことを学び取ることでようやく進化という益をもたらす「益の水」となる。何も学び取れなかったなら文字通り、それはただの害でしかない。
今の我々に必要なのは自然を制する科学でも、ましては龍を恐れる心でもなく、自然の益なる水害・益なる天災の放つ警鐘の音を真摯に聞き取り、一人一人がより真剣に考える心構えなのではないだろうか。更には、そうして考え出した結果をより素早く、より効果的に我々の進化へと繋げてゆくことがより良い未来への唯一にして最大の鍵なのだ。
こういった心構えを持つことで次世代へ、そのまた次の世代へと人類はより良い進化を遂げる事が出来るのだと、そう私は考える。
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