水と人類
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と捉えることができる。だとすればどうだろう。本来「害の水」であるはずの水害は、人類の発展に役立つツールであったと考えることはできないだろうか。そう考えれば、水害も「益の水」に分類できるのかもしれない。しかし、その文明を破壊してゆくのも明らかに水害である。はたしてどちらなのだろうか。
それを考えるには、四大文明とはまた別の文明について考えてみる必要があるだろう。
まず、日本における最初の水害は雨であった。ただの雨が水害に匹敵したのだ。その原因は食料の保管方法にあった。縄文時代、その時代の人々は農作などによって得た食料を地中に埋めて保管していた。勿論、今の技術の様に地下数メートルに保管するなどという事はできない。せいぜい2,3メートルが限界だろう。そうなると多少の雨はしのげたとしても、豪雨などにはまず耐えられない。そのたびにせっかくの食料がなくなるのだと思うと、それこそ恐るべき水害であろう。
そこで弥生時代には高床式倉庫を開発し、雨に備えると共にネズミ返しなる仕掛けで害獣から受ける被害も同時に克服した。こうして日本の技術は進化していったのだ。
このような水害への対策には主に2つの方法がある。1つは、生活区域を氾濫するそれよりも高い何かで身を守ることだ。高い石垣や堤防に囲まれた輪中や、現代ならスーパー堤防もそれに当て嵌まる。しかしこの方法は生活区域をそのまま改良するものなので、かなり大規模な治水工事が必要不可欠であり、かなりまとまった財を動かす羽目になる。大別すれば、水の届かない場所へ守るものを持っていくという点からも、先程の高床式倉庫はこれに当て嵌まる。もう1つは生活区域の移動だ。単純なことだが、河から遠ければ遠いほど水害の影響は小さくなるものだ。しかし河から遠いと実生活では不便なことも多くなる。害の水から自身を遠ざける代わりに、益の水からも遠ざかるのだ。そうしてうまれたのが井戸水の技術と完全に農作から離脱した集団、街だ。そこからは農民と町民に分かれて生活を営み、町民は村との物々交換の為に更なる改良を加えた道具を開発し、お互いが豊かになってゆく。こうして文明は発展の一途を辿り、数多の戦争・革命・外交などを経て現代にいたるのだ。
さて、こうして水害から様々な進化を遂げてきた人類だが、こうした進化の先にはまだ越えねばならない水害もある。やはり水は進化を促す益の水である反面、進化した文明を破壊する害の水でもあるということだ。
例えば1934〜1959年の間に日本に来た室町台風・枕崎台風・伊勢湾台風は昭和の三大台風と呼ばれ、その死者、行方不明者は1万5千人にも及んだ。
中国では1887年に黄河が氾濫を起し、恐らく人類の歴史上最多であろう90万〜600万人の死者を出した。
こうした無慈悲な天災に対抗すべく我々は日々進化を続けてきた。しかし、そ
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