水と人類
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いる「神からの贈り物」なのであり、紛れもない「益の水」なのだ。
ただ、時に水は人間に害を与えることもある。その例として「龍」が挙げられる。この「龍」という漢字の英語訳には「dragon」が当て嵌まっているが、実は全く別物である。西洋のそれはあくまでも「翼と爪を持つ巨大な爬虫類の怪獣」であり、認識としてはモンスターである。すなわち「飛竜」が相当するものであって、決して龍ではないのだ。本来龍とは河川の氾濫・豪雨に伴う土石流・鉄砲水への恐れをそう表現した、いわば「水害の化身」なのだ。要は自然、大別すれば神の一種だろう。すなわち「god」が相当するものであって黄河文明および長江文明においては恐れと崇拝の対象にもなっている。
そのことが如実に表れているのはやはり、河の流れを神格化してきた中国文明の歴史上である。日本の国語辞典によれば、龍の正確な定義は「河に棲む怪物」とあるが、中国文明では様々な形で神格化され、最終的には後漢王朝末の学者である王符が説いた九似説で「頭は駱駝・角は鹿・目は牛・腹は蜃・鱗は魚・爪は鷹・手の平は虎に似た自由に雨や嵐を起こせるもの」とされている。しかしその龍にも様々な言われがあり、その一つ一つが当時の水害の恐ろしさと凄まじさを物語っているのだ。
英雄達の活躍により退治される、中国四川省や雲南省に伝わる馬絆蛇と呼ばれる龍はとてつもなく巨大な体を有し、人を襲って食う龍とされているが、その巨大さは濁流の規模を、人を食うとは被害の大きさを物語っているのである。同じく中国神話中で伝えられた相柳なる龍は、地上を好き勝手に荒らしまわったうえ、退治された後もその龍の通った道は毒のある水で溢れたという。これについても大きな水害が地上を破壊し、それが収まった後もその土地に残った水が腐敗して多大な被害を与えたものであるととらえる事が出来る。このように、史実として語り継がれる程当時の水害の被害は深刻なものだった。
それでも我々人間には水が必要であった。たとえ龍の恐怖に曝されることになったとしても四大文明が巨大な河川の付近に出来ていった事からもそのことは明確である。我々には「益の水」が必要なのだ。
そして、益の水である大河が流から龍へ姿を変える時、文明は成す術なく破壊され「神への恐れ」が生まれる。しかしそこで人類が屈していては今の文明は無かっただろう。
人々は龍に負けて呑み込まれぬ様に堤防を築き、大河の水を出来うる限り遠くへ運ぶ技術を開発した。こうして文明は発展の一途を辿ったのだ。このことから、我々の文明の歴史は神への対抗の歴史とも言い換えられる。きっと我々の祖先は龍に食い荒らされた文明の上で次はどうすればこの途方もなく巨大な侵略者から自らの文明を守りきられるのか思案に明け暮れたのだろう。
こうして見ると、水害が我々の文明の発展に一役買っている
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