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くらいくらい電子の森に・・・
第二十章
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せてくれる。彼女を育んできたこの会社は、親同然だったからね。
それならば、ますます繁栄させてやろう。会社が栄えれば、妻も私も幸せになれる。
そう、信じていた。だから私は、仕事にのめりこんでいった。

――パソコン普及の黎明期を過ぎたあたり、だったかな。
若く優秀なSEを擁する同業他社が乱立し、続々と新たなセキュリティソフトを発表…決め手に欠ける我が社の業績は、目に見えて落ち込んでいった。
それでも、会社を存続させ続けるには、汚れ仕事が…それができる人間が必要だった。粉飾決済や他社のネガティブキャンペーン、大規模で理不尽なリストラの決行…。私の仕事は、とてもじゃないが、人に誇れるものではなくなっていったよ。

――やがて私の顔には、他人に感情を悟らせないための『笑顔』が張りついた。
常に薄氷を踏むような私の仕事には、『完璧』であることが、必要だった。感情を隠し、常に迅速、完璧な判断を下し、誰に対しても隙なく振る舞い、自分以外の誰も信じてはならない。
『笑顔』は、家に帰っても取れなかった。…自分がしていることを、家族に悟らせたくなかった、からね。
汚れるのは、私だけでいい。家族には、綺麗な所で笑っていてほしかった。

――だから私は家族の前で、仕事の話をしなくなった。

――仕事しかしてこなかった男が、仕事の話をしなくなる。
これがどういうことか、わかるかい?
私には、家族にしてやれる話が、なくなったのだよ。
だが私は信じていた。会社さえ持ち直せば、妻は、子供はまた笑ってくれる。そして私も本当に、心からの笑顔を浮かべられる日がくる、とね。
『会社を守ることで、家族の笑顔を守る』、それが私の道理だった。

「…その道理のために、何人もの人が死んだのに…?」
「そう、だったね。私の道理は…あの、なんと言ったかな、ショートカットの可愛い子と、君との『道理』を踏みにじった。…そして、君や私に道理があったように恐らく…妻や子供達にも、別の道理があったのだよ」

――その事に気がついたときは、もう手遅れだったな。
妻は子供達に、私が『立派な人』だから、私のように、『非の打ちどころがない人』になりなさい、と教えるのさ。笑顔も浮かべることなくね。
そして子供達は、私にそっくりな『笑顔』を顔に張りつかせ…私に敬語を使うようになっていった。

――そこはもう、私が思い描いていた『幸せな家庭』などではなかった。

――すべて、手遅れ。
それでも私は、いや、だからこそ私は、引き返すことが出来なくなった。
私に守れるものは、会社の名誉…いや、『妻の名誉』だけになってしまったから。

「丁度いい、具合だ。なんだか眠くなってきたよ。…凍死というのは、存外に安らかな死に方…というのは、本当だね」
朗々と、男は謡うように話す。
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