第一話 箱庭召喚!
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気合と根性。僕の唯一の取柄はそれだけだと僕自身が一番よく実感している。
今までどれだけの事があっても、持ち前の気合と根性で解決出来なかった問題は無かった。故に、僕はいつも「気合と根性があれば何でもできる」と口癖のように言っていた。
しかし、僕だって分かっていた。気合と根性だけでは、どうしようもない事態があることぐらい知っている。ただ、そういった場面に自分が直面したことが無いだけである。
殴り合いの喧嘩だってしたことはあるが、気合と根性、つまり自分がどれだけボロボロになっても、ゾンビの様に何度も立ち上がって相手を殴り続けるという作業を繰り返すだけで、喧嘩相手や絡んできた奴を幾度となく撃退した。複数人で僕を拘束してきた相手には、火事場の馬鹿力というやつで対処した。
喧嘩をしたことが無かった頃は、火事場の馬鹿力など嘘だと思っていたが、いざ直面してみればそれが本当だったことに気付いた。本当のピンチになれば、いつも脳が制御している力を解放するかの如く、必要最低限の力だけが湧き出てきた。
結果、喧嘩で僕は大怪我をしたことはあれども、負けは無かったといっていい。いつも気絶する前に根性で立ち上がり、気合で相手を殴る。これをやるだけで勝利を掴めるのだから、思わず勝利を掴み取る安易さに苦笑したことさえある。
しかし、これは僕にとっては普通のことでも、恐らく他の人にとっては普通ではないだろう。
喧嘩をして殴られればそれは痛いし、その際に体力や気力も削られることだろう。痛いのは当然誰しもが嫌だ。もちろん、僕だって痛いのは嫌だ。痛いのが良いというのは、よっぽどのマゾの発言である。
殴り合いの喧嘩などでは、少なからずそういった痛みが襲ってくるものだ。これが無いのは、よっぽどの強者や超人などといった、相手と歴然とした実力差を持っているものだけである。
何が言いたいかといえば、喧嘩をすれば当然痛い。その痛みのせいで、普通の人は体力と気力を削られ、これ以上続けたくない、と無意識にでも思ってしまう。そんな無意識に思っていることが、体の行動を制限して、体力と気力を削ぎ、体を鈍化させる。体の動きが鈍化すれば、相手にまた殴られる。普通の人は、きっとこの悪循環に嵌ってしまい、喧嘩に負けてしまうのだろう。
でも、僕は違った。確かに痛いのは嫌だと言ったけど、これ以上続けたくない、とは思わない。何故なら、そこで終わってしまえば、更に自分を痛めつける事になり、そして最終的に負けてしまうからだ。
僕は更に自分を痛めつけるのが嫌で、負けてしまうのが嫌で――だからこそ喧嘩では痛いことなど考慮せず、ただ最後まで立ち、相手を倒す事だけに専念した。結果的に自分が傷ついてしまっても、絶対に負けたくはなかった。
だから僕は、きっ
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