暁 〜小説投稿サイト〜
記した億の絶望
序章
[2/3]

[1] [9] 最後 最初
 一般的に死の話題は縁起が悪いと嫌悪感を持つ人々で溢れかえってるが、その分彼らは無知のまま、傲慢にのらりくらりと自分勝手に生きるのであろう、と勝手に推測する。時がいかに価値の有る物かも解らず、老いて死を目前と控えた瞬間、ああ、あの時あれをすれば良かった、これをすれば良かったと後悔を募らせ、胸に不安と絶望を抱えながらきっと逝くのだ。実際どこのどいつがそんな事を考えながらあの世へ旅立とうと、私には関係ない。むしろ無様に恐怖で震え上がる姿を想像するだけで、あまりの滑稽さに笑えてくる。笑いたい、けれど、目の前の女がそうさせてはくれない。
  床に臥せっているのは、痩せこけた妙齢の女。肉も付ければ見れない事もない顔なのだろうが、如何せん、骨と皮だけの躯は弱々しい笑みと供に不気味に写る。だというのに、下腹だけはぽっこりと突き出ていた。ややこが、いるのだ。腹は普通の出産まじかの妊婦のよりはだいぶ小さい、が、 小さいなりにおのが存在を主張している。 十月十日もそろそろ経つ。貧相な躯にこじんまりと収まっているものの、もうすぐ生まれるのは確かだろう。
「菊、お菊。京介様は本当にのんびりな方ですね。もうすぐややが生まれる時期なのに、まだ帰ってこないんですもの。きっとまた迷子になられているのね。」
  ふふふ、仕方のない人、と弱々しくもすべてを許すような慈愛に満ちた微笑みで私に語りかける。話している間も、骨と皮しかないその手で、布団越しに優しくややのいる腹を撫でていた。まだ子を産んでいないというのに、その顔はすでに母親のそれであった。
  面倒くさい事になった、と心の中で舌打ちをしる。どう考えても、この女は子を無事産み落とせるような躯をしていない。子供とともに果てるか、奇跡が起きて子だけ命をつなげて生きてゆくか。どちらにせよ女、椿は、我が子を抱く事は疎か、顔が見れる事すら危うい。共に果てるのならばまだ、二つの遺体を同じ墓に入れるぐらいはしてやれる。けれど、ややが残ればそれを育てる手立ては私しかいない。そうなればそのややを生かす責任は一気に私にのしかかる。いっその事、私が昔経験したときのように、ややが流れれば良いと何度思った事か。そうすれば多少の痛みが伴っても、椿は生きられる。戻らぬ京介の事なんか忘れて、一から夢をやり直す事も可能なはずだ。
  誰かの嫁になって子供を産みたいという椿の純粋な願いは、歪な形で成し遂げられようとしている。唆して婚姻も結ばず、ただ快楽を得る躯だけの関係をあの男は望んだ。愛している、親が反対して今は一緒になれない、ややが出来れば親も俺たちの結婚をきっと認めてくれる、そうすれば俺と夫婦(めおと)になってくれ、と嘘で塗り潰された甘い言葉を、椿は今でも信じている。
  ボンクラの京介が戻るのを期待して、否、確信して健気に帰りを待っている椿を見る都度に、
[1] [9] 最後 最初


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ