第一幕その二
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クリミア=ハン国が大軍を以ってモスクワに来たことがあった。それを退けたのはボリスであった。
またこの前にも彼等の不穏な動きがあった。この際もボリスは自ら兵を率いて彼等を牽制したのである。シチェルカーロフはこのことを民衆達に対して言ったのである。
「あの方しかいないのです」
彼は民衆達に対してことさら優しい声で言った。
「我々を救える方は」
「わし等を」
「はい。では私はもう一度行きます」
「どちらへ」
「あの方の下へ。そしてまたお話してきます」
「はあ」
そう言い残すと彼は姿を消した。そして修道院の中へ入るのであった。
「なあ、どうする?」
民衆達はヒソヒソと話しはじめた。
「タタールをやっつけられるのはあの人しかいないんだろう?」
「どうやらそうみたいだな」
彼等は顔を見合わせて小声で話し合う。今までの声とは違い実のある声であった。
「それじゃあそれでいいかもな」
「ああ。タタールからわし等を守ってくれるんならな」
これが彼等の本音であった。身の安全と腹。この二つを保障してくれる者こそ彼等にとっては必要だったのである。それだけであった。これは何時の時代にも変わらないことである。この時代のロシアだけの話ではない。そもそも民衆が統治者に望むのは根本としてはこの二つなのであるからだ。
時間は夕暮れになろうとしていた。雪の中赤い光が修道院と民衆達を照らそうとしていた。
その中でまた声が聞こえてきた。だがそれは民衆達のそれではなかった。
「栄光あれ、地上の至高の造物主に」
それは賛美歌であった。修道院から聞こえてきていた。
「栄光あれ、神の力と天つ全ての聖者達に」
修道僧達が歌っている。それは民衆達のそれとは違いまとまりがあり、そして清らかな声であった。それが夕暮れの雪の中で聞こえてきていた。
「僧侶様達だ」
民衆達はそれを聞いて囁き合った。
「主の天使は告知された。ロシアを覆う怪物を退けよと」
「怪物を」
「それは」
民衆達の心にその怪物は先程のシチェルカーロフの話のタタール人達と合わさった。見事なまでに。
「十二の翼を持つあの蛇を」
サタンのことである。ロシア正教においてもサタンは邪悪な存在とされている。古き蛇とも十二の翼を持つ魔王とも呼ばれている。これはキリスト教世界においては不変なことの一つである。
修道僧達が姿を現わした。彼等は歌いながら民衆達の方へやって来た。
「救世主を迎えよ」
彼等は言う。
「我等を救って下さる方を。今こそイコンを持って御呼びするのだ」
イコンとはキリストやマリア等を描いた絵画のことである。ギリシア正教の流れを汲むロシア正教においては偶像崇拝は禁止されていた。その為絵画を信仰の要としていたのである。板金形のものが主流であり、ウラ
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