第五幕その一
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な。じゃあその皇子様が来られたら俺達の暮らしもずっと楽になるな」
「ああ。もう餓えなくて済む」
「ボリスには天罰が下って」
「俺達は万々歳。いいことばかりだよな」
「そうだな。楽しみに待つとしようぜ」
「皇子様がモスクワに来られるのを」
見れば他の男達もそんな話をしていた。小声で。その小さな声が雪のモスクワに響いていた。それが何よりも今の疲弊したロシアの姿を現わしていた。暗く、寒い。今のロシアそのものであった。
その中で子供達だけが騒いでいる。痩せ細りながらも遊ぶことだけは忘れない。彼等は元気のいい声で犬や猫を相手に遊ぶ。時には別のものを相手に遊んでいた。
「元気があるのう」
それを見て一人の老人が呟く。
「こんな世の中でも」
「わし等も昔はああじゃったな」
隣にいる老人がそれに応える。
「昔はな」
老人はそれに頷いた。
「わし等の頃も色々あったが」
「今度はどうなるのかのう」
「あの子供達の中で何人生き残るか」
「わからぬのう」
暗い話であった。彼等の目にはもう暗いものしか映らなくなっていた。そうさせているのが今のロシアであった。何もかもが暗い世界になってしまっていた。
その暗い世界でも子供達だけは明るかった。例えその場だけであっても。そしてその子供達の側に一人のみすぼらしい修道僧の服に司祭の帽子を被った男がやって来た。
聖愚者であった。東方キリスト教会、とりわけロシア独特の存在である。『私達はキリストの存在故に愚かな者となり』という聖書の精神に基づく求道者であり聖なる愚者を目指している。カトリックには見られない存在である。
ロシアには数多く存在し、貧しい中で白痴の様に修業を続ける。中には本当に白痴もいたという。その修業の結果一種の霊的完成に至り奇跡を行うとされていた。先に寺院に埋葬されたと書いたワシーリィもまた聖愚者であった。ロシア正教において聖人とされた者もおり、時にはその愚者であるという立場から恐れを知らぬとされ社会における不正や悪の告発者、批判者ともなっていた。聖人であると共に道化でもあったのだ。
その聖愚者が歩いて来た。子供達は彼のところに集まる。
「ねえ聖愚者さん」
彼等は声をかける。
「僕等を祝福して。帽子を脱いで」
そう言いながら群がる。だが聖愚者はそれに応えようとはしない。そこにしゃがみ込んでしまった。
「今日も寒いな」
彼は呟いた。
「この寒さは何時まで続くのか。これも神の思し召しか」
「ねえ聖愚者さん」
子供達がまた声をかける。
「祝福してよ、帽子を脱いで」
そして帽子をいじりはじめた。
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