弐ノ巻
かくとだに
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行儀が悪いと口うるさい侍従に怒られそうだが、仕方がない。
心頭滅却、煩悩退散…。
僕はぶつぶつ呟きながら箪笥を漁って新しい衣を取り出す。
仏教と言うものは、大変に興味深いと僕は思う。
僕は臨済宗ではないが、そこで行われている禅問答はその筆頭だ。
禅問答とは、その名の通り師より与えられた問に座禅を組みつつ考え自らの答えを導くものである。
聞けば簡単のようだが、その問いが一様にして理解不能なのである。
たとえば、こうだ。
ある僧がこう問う。「なぜ達磨はインドから来たのですか?」答えて言うには、「庭にある柏の樹だ」
この意味を考えよというのだから、まったく常人にはとてもじゃないが思い浮かぶはずもない。
詳しく説明するとなれば一昼夜ではとてもじゃないが無理だ。しかし一言でこれの「解」を表すと、仏性はどこにでも存在するものであるから、ということらしい。
それは、庭の柏の樹であり、花であり、家であり、風であって光でもある。仏性とは人を仏に為らしめるもの、つまり、究極のところ達磨がインドからやってきたと言うことはその意味そのものであって、それ以外のものではない、それを表したのが、「庭の柏の樹」ということ、らしい。
このように、なんだかわかるようで、さっぱりわからないのが禅問答である。
多分、考えると言うことに意義があるのだろう。とてもではないが、自分でこの解を導けそうにはない。
10年ぐらい石の上で禅を組めば僕にも悟りの境地とやらが分かる日が来るのだろうか。
しかしあしたもわからぬ戦の世を生きる僕には、インドからきた達磨の意味をぽけっと考えることより、とりあえず今暖をとることの方が重要だ。
僕はさっくりと自分の着替えを終えると、僕の衣を着せた瑠螺蔚さんを布団に寝かせる。
しかし体格の違いからか、瑠螺蔚さんの着物の合わせが動かす度にずれて、鎖骨の辺りが覗く。
…いや、今禅問答を考えたところじゃないか。次は太公望の兵法でも復習するべきか…。
冷えた身体は人肌で温めると良いということが頭をよぎったが、きっと温石の方がいいだろう。いいや、良いに決まっている。
僕は立ちあがろうとして、つんと袖を何かに引っ掛けて、そこを見た。
ほっそりとした白い手が、僕の裾を掴んでいた。それを辿れば、黒い髪と薄く開いた唇が目に入った。
予兆もなしに、瑠螺蔚さんのふたつの瞳が、はっきりと開いて僕を見ていた。僕は息を飲みこんだ。
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