巫哉
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日紅が『彼』へ向ける言葉はないのだ。
けれど、今回はいつもとは違った。『彼』はバカにしたように笑うでもなく、すっと無表情になった。
日紅は震えた。また『彼』が日紅の手の届かないところにいってしまいそうで。
「巫哉、言って!あたしにいやなところがあるなら言って!なおすから」
「犀のことが好きなんだな、日紅。何に代えてもいいぐらい」
日紅の質問とずれたことを『彼』は言う。
日紅は戸惑いながらも頷いた。
『彼』はそれを瞳に焼き付けた。『彼』の顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「なら、俺の真名を思い出せ」
びゅうと強い風が吹いた。日紅は咄嗟に『彼』に抱きついた。『彼』がそのままどこかへ消えてしまいそうで。
『彼』の腕がほんの一瞬、日紅を抱きしめ返したような気がしたが、風がやんだ時には日紅は自分の部屋にいた。
うそ…。今までのは、全部夢?
茫然としていたが、日紅ははっとして肩を見た。寝巻の半身が暗闇に黒く塗れていた。夢じゃない!
『彼』は真名を思い出せと言っていた。思い出すということは、日紅が前に聞いているということ。
「思いだしたら、戻ってきてくれるの、巫哉…」
何も返さない夜闇に、そう日紅は呟いた。
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