弐ノ巻
かくとだに
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持っていない。こんな大火事のときでさえ、人は桶や水の溜まる容器を手に、井戸や川から水を汲んできてかけるぐらいしか手がない。
なぜか僕は桶で川から水を運ぶ人のうちの一人に寄って、それを奪いとると頭から被った。驚きで固まる男のその横を急いで通ろうとしていた女の桶も同様にとると、衣が滴るまで水をかけた。
「ありがとう」
状況がつかめず茫然とする二人に空の桶を返すと僕は踵を返す。
炎が噴きあげる前田家へと。
改めて見てみれば、最早家の中まで通じる道と言える道はない。廊下は火の海だ。この中に飛び込むなんて狂気の沙汰だ。流石に背に寒いものが走る。足が竦み、束の間長いようで短い時間が過ぎる。
生きては、戻れないかもしれない。
僕は腹にぐっと力を込めた。
馬鹿なことをしている。いや馬鹿なことをしようとしている。仕方ないことだ。ここまで火が回ったらもう誰にもどうしようもないんだ。例え中に人がいたとしても、もう生きてはいないだろう。助けに行っても無駄死にするだけだ。
僕は佐々家の人間で、大きな期待や責任を負っている。戦場ならまだしも、今こんなところで死ぬわけにはいかない。
けれど、ここで行かなかったら、僕はこの先大事なものを何一つ守れない気がする。
大事なものを失っても沢山のそれらしい言い訳で固めて目を逸らす人間には、なりたくない。
瑠螺蔚さんはずっと叫んでいた。ただ一途に、兄のことを。自分の身をも顧みないその強さを、他人の為に何の迷いもなくこの炎の中に飛び込める強さを、僕は欲しいと強く願った。
瑠螺蔚さんに叩かれた頬がぴりりと痛み、棒立ちだった僕の足が前に動いた。口を開く正門ですら今にも崩れそうだ。はやく、いかないと。もはや一刻の猶予もない。
僕は多分。
僕は思った。足は確実に前田家への距離を縮める。
僕は、多分。中にいるかもしれない俊成殿や、逃げ遅れた人の為に今炎に分け入ろうとしているのではないんだろう。
勿論、俊成殿が亡くなってしまうかもしれないというのは辛い。俊成殿でなくても、目の前で苦しんでいる人や、ましてや命の危機にある人がいたら助けるぐらいの気持ちはある。
けれどそれに自分の命がかかっている、しかも死ぬとわかっていてそれでも他人を助けようとするには、僕は諦めを知りすぎているし、生への柵も多すぎる。
だから、僕が今こうして炎に向かうのは、瑠螺蔚さんの為に。
瑠螺蔚さんが一途に俊成殿を助けようと
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