第十章 (2)
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屋上へ続くドアには、鍵はかかっていなかった。『一般的』な患者には、開放しているようだ。ここから見晴らす山脈は厚くかかった雲のせいか、遠くにいく程、蒼く霞んでいる。随分遠くに来てしまった気がして、胸がつまった。
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先に屋上に出ていた柚木に、缶珈琲を渡した。
「もう三杯目だね」
そう言って柚木は、プルタブをかしゅ、と起こした。そして高いフェンスに身をよせて、缶珈琲をあおる。
「山の空気って冷たいね…」
呟いて、そっと目を閉じた。僕も柚木の隣によりかかってみた。山の空気っていうかフェンスが鉄臭いな…などと思いながら。
「…流迦ちゃんは、母方の従姉妹なんだ。家が近かったから、よく行き来してた」
長い漆黒の髪が綺麗で、すこし潤んだ黒目がちの瞳が、年に不相応なくらい大人びていた。それ以外は、ごく普通のお姉さん。当時の僕の基準では、制服を着ている人はみんな大人だったから、中学のセーラー服を身にまとう彼女も、当然大人だと思っていた。
優しくて頭が良くて、運動だけはちょっと苦手。スカートめくりを仕掛けて、脱兎のように逃げていく近所の子供も、一度も捕まえられたことがなかった。趣味は料理と、アクセサリー集め。沢山持っていたのに、あまり外でつけることはなかったっけ。僕にだけこっそり教えてくれた、一番のお気に入りは、小さな桜のイヤリングだった。
彼女の父親…叔父さんは地方の市議会議員か何かを勤めていて、選挙が近くなると僕らの家にもよく顔を出した。随分、あとになってから知ったんだけど、僕の生家は、ここいら一帯に多い『姶良』の宗家だったらしい。宗家といっても田舎の一角で強い発言権を持つ程度だけど、市議会選挙くらいのレベルだったら馬鹿にならない影響力を持っていた。…とかいってもそれは立場的な問題で、僕や家族の暮らし向きはつつましいものだ。DSだって、クラスの友達の三分の二が持ってる状態になった頃にようやく買ってもらったくらい。
母方の叔母と結婚した叔父は、悪い人じゃないんだけどがさつというか短絡的なところがあって、ちょっと好きになれなかった。でも叔母は流迦ちゃんに似て綺麗な人だった。
料理が上手で、話す声は絹が摺りあうようにささやかで、いつも優しい流迦ちゃん。
春になると、蓮華が咲き乱れる川原に連れて行ってくれた。そこで日が暮れて星が出るまで寝転んで、どっちが先に一番星を見つけるかを競ったっけ。僕は一度も勝ったことがないけど。…帰り道、負けた僕がふて腐れていると、まばらに輝きだした星々を指しながら、星の神話を話して聞かせてくれた。
彼女に『初恋』の気配を感じていた僕は、彼女の両親の前で臆面もなく『大きくなったら、流迦ちゃんと結婚する!』なんて無邪気にまとわりついた。流迦ちゃんも、笑いを含んで僕の頭を撫でた。可愛い弟をみ
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