第六十三話 岐阜その十
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沢彦はある印を信長に差し出してきた。それも見てだ。信長は言った。
「今度はそれじゃな」
「はい、これもでしたから」
「印もできたのか」
「これで如何でしょうか」
実際に印を押した紙も見せる。そこにあった文字は。
「天下布武、それじゃ」
「殿が仰っていたのはこれでしたな」
「そうじゃ。天下は今乱れに乱れておる」
だがそれをだとだ。信長は言うのである。
「しかしそれをじゃ」
「武で、ですな」
「平定しそのうえで泰平にする」
信長のその言葉は毅然としたものだった。
「その為の言葉じゃ」
「畏まりました。それでは」
「うむ、印はこれでよい」
今度は満足している言葉だった。
「和上、御苦労だった」
「いえいえ、お気遣いは無用です」
「そう言うものではない。そうじゃ」
「何でございましょうか」
「菓子を食さぬか」
お礼にだ。それを勧める信長だった。実際にだ。見事な丸い菓子を出して沢彦に勧めるのである。
それを見てだ。沢彦も信長に問うた。
「この菓子は一体」
「うむ、月餅というそうじゃ」
「月餅とは」
「明の菓子でな。この前商人から貰ったがこれがかなりいける」
「そしてその月餅をですか」
「どうじゃ。食さぬか」
こう言ってだ。沢彦に勧めるのだった。
「毒味はわしがしておる。味見もしたぞ」
「今そう仰いましたな」
「そうじゃ。それでどうじゃ」
「拙僧は般若湯も魚も口にはしませぬ」
そうしたことを毅然として守っていた。それが為に信長にも信頼されているのだ。信長も尊敬できる僧侶ならばだ。こうして尊敬し信頼するのだ。
その沢彦はだ。こう言うのだった。
「しかし甘いものはです」
「昔から好きじゃったな」
「果物も菓子も」
そしてだった。
「附子も」
「ははは、あれか」
「はい、附子も好きでございます」
楽しげに笑ってだ。沢彦は信長に話す。
「あれもまた」
「左様か。無論それもあるぞ」
信長は面白そうに笑ってそうして沢彦に述べてだ。そうしてだった。わざとこう言ってみせた。
「水飴もな」
「いえいえ、附子です」
「そうじゃったな。それじゃな」
「狂言というのもいいものですな」
「あれにも人間というものが出ておる」
だからだというのだ。信長は。
「観ていて実によい」
「滑稽なだけでなく」
「滑稽も人の中にある」
信長はこうも言った。
「そしてその他の様々なものもじゃ」
「狂言には描かれておりますな」
「だからよいのじゃ」
これが信長が狂言に言いたいことだった。
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