第九話 浮野の戦いその十三
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それは尾張なら多くの者が知っていることだった。しかしなのだった。
「それで私にか」
「左様です」
「それでどうされますか」
「その者が何を考えておるのかわからぬ」
信行はここでまた首を捻る。
「しかしその者の名は聞いておるか」
「はい、津々木という者です」
その家臣がこう述べた。
「津々木蔵人といいます」
「誰か知っておるか」
その名を聞いてだ。信行は怪訝な顔になり家臣達に問うた。
「津々木蔵人という者を」
「いえ、聞いたことはありません」
「拙者もです」
「それがしもです」
誰もがだ。いぶかしむ顔でこう信行の問いに答えた。
「その様な者は尾張にはいたでしょうか」
「他の国の者でしょうか」
「しかし。その様な者」
彼等も伊達に信長に仕えているのではない。他の国の情報は集めている。しかしそれでもだった。その名前を聞いても誰も、であった。
「知りませぬ」
「聞いたこともありませぬ」
「一体どういった者でしょうか」
「その方等もか」
信行は彼等のいぶかしむその声を聞いて述べた。
「私もだ」
「勘十郎様もですか」
「御存知ありませんか」
「今川にも斉藤にもそういった者はおらぬ」
そうだというのである。
「一体どういった素性の者だ」
「ではここは会われませぬか」
「そうされますか」
「いや、待て」
しかしだった。信行はここで言うのだった。
「しかし優れた者ならばだ」
「御会いして用い後で殿にですか」
「あらためてと」
「そうするとしよう。それが兄上の為にもなる」
信行は素直に兄のことを考えていた。そしてさらにであった。
「そして織田家の為にもなる」
「わかりました。さすれば」
「その様にですね」
「うむ、そうするとしよう」
こうしてだった。信行はその津々木という男と会うことになった。そうして連れて来られたその男はだ。
黒い着物を着ていた。しかしそれは僧衣ではない。武士の着る服だった。
それを見てだ。信行も家臣達もいぶかしまずにはいられなかった。
「何だあの黒い着物は」
「確か長尾、いや上杉が黒い鎧兜だが」
「さすれば上杉の者か?」
「いや、上杉の黒はあの黒ではない」
こういう者がいた。見れば信行と同じく信長の弟である信広である。
「あの黒は純粋な黒だ」
「左様ですか」
「そうなのですか」
家臣達は彼のその言葉を聞いて頷いたのだった。彼は信行と同じく信長の補佐役として家中でかなりの信頼を得ている人物なのだ。その政、そして戦への才はよく知られている。信長は政はできるが戦には今一つ慣れていない信行のことを考えて彼も残したのである。
それでだ。家臣達も彼の言葉に頷くのであった。
「そういえばあの黒は」
「何か違いますな」
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