Dix
[2/3]
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
人間と違って、他人にとっての自分の命の重さを、主観に惑わされることなく正確に量れていると思う。多分。そしてなぜだか知らないけれど、ルパンにとってわたしの命は大層重いらしい。ちいさな傷でも見逃せないほど。
エルもそのことを考えてたみたいだ。
「なんでだろうなぁ…ナーシャ、おまえルパンと寝たか?」
「バカ言わないで」
怖気が走る。
「だよなぁ。少女趣味とも思えないしなぁ…。あいつは俺と違って、正気の筈なんだが。哀れな男だ。おまえにああも執着するのかがわからんなぁ」
「ふうん。狂人の自覚はあったのね」
「あるさ。無知の知って奴だよ。俺は俺が狂っていることを知っている。それはそれだけで一つの武器だ。ナーシャ、おまえも人のことは言えないだろう?」
わたしは笑った。
もちろん、わたしは狂っている。
他人を労り尊重し時には自分が犠牲になっても守る姿がこの世のあるべき姿なら、自分の目的のために犠牲を全く厭わないわたしは確かに狂っている。
でもそれは「世界」基準で「わたし」を評価したに過ぎない。所詮わたしはここで今エルに抱えられて彼に喉の血管を押さえられながらも振り払うことすらできない無力なひとりの人間だ。わたしは決してエルの視点からわたしを見下ろすことはないし、エルもわたしが感じる首の圧迫感を味わうことは決してない。他者の感覚や感情は想像するしかないのだ。目の前の人間が切られて血が出て「痛そう」と思うのは、自分が同じ経験をしたことがあって、「痛い」のが「嫌なこと」だと予め知っているということが前提にある。だから、床に転がっている人形の腕がとれているのを見ても「痛そう」などという陳腐なことを思ってしまう。人形に心はないし痛覚もないということを世の常として知っているにも関わらず、だ。
人形に痛みはない。常識だ。でもそれはどうしてそうとわかるのだろう。もしかしたら人形も、無邪気な幼児に腕を引きちぎられ中の綿を引きずり出されながらもんどりうつほどの痛みを感じているのかもしれない。ただ、人形には自分以外のものに感情を訴える手段もなく、それを人間がわからないだけで。しかし人形が感覚を持つそんなことはありえないことと、この世界では常識になっている。人形に痛覚はない。感情もない。それが、常識?いや、わたしはそれこそを疑問に思う。人形が人間のように感情がないと、誰が言い切れる?わたしたちは誰ひとり、人形になったこともないくせに。そう、だからその可能性はゼロじゃない。
そして逆に言えば、腕をもがれて苦しみのたうちまわる人間も、その痛みを本当に感じているのだろうか。治療しようと駆け寄る人間も
[8]前話 [1]次 [9]前 最後 最初 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ