第六章 (1)
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軽快な歩調、僕の斜め後ろの椅子が引かれる気配…
振り向かないでも分かった。
柚木が走ってくる音は、殆どしなかった。多分、教室の外で始業を待っていたんだろう。
腹の奥のほうに何か温かいものが点って、すこし、顔がにやけた。
……きっと柚木も、よく分からないんだ。
田宮教授がぼろぼろのノートと資料を教壇に放り、黒板に何かを書き始めた。チョークが軋る音を聞きながら、僕は目を閉じる。
空想の中で描いたのは、手を繋いで神保町を歩く、柚木と僕だった。
昨日まで腕枕だのブランデーだの、もっとすごいことだの妄想していたのに、手が触れる距離に近づいた途端、野望が一気に萎縮してしまった。空想の中の僕たちは、中学生みたいに躊躇いがちに手を繋いでいる。そんな情景すら、とても遠く感じた。
でもすごくリアルに感じた。華奢な指の質感とか、勝気なくせに伏目がちな微笑とか。
この授業が終わったら、真っ先に振り向こう。
そして、とっておきの喫茶店に誘おう。
そんなことを考えながら呼吸を整えた。
ぶぶぶぶ…ぶぶぶぶ…
鞄の中で、携帯がくぐもった振動音を発している。鞄から出さずに軽く傾けて、着信を確認する。
『ビアンキ』
googleでの張り込み中に何かあったら、IPフォンから携帯に連絡するように伝えてある。ちらと教壇に目を走らせた。教授は華奢な体格に似合わぬ激しさで、チョークを軋らせて債権譲渡の図を書きなぐっている。…僕はおもむろに、着信ボタンを押して耳にあてた。
『…いま、大丈夫ですか?』
「あぁ問題ない。進展があったのかい?」
『え…えっと、進展じゃないけど!あの、出来たんです!』
「出来た?…なにが?」
『んふ、いいもの、です!早くみて、みてください!』
…張り込み中、ヒマを持て余して何か作っていたようだ。再度、教壇に目を走らせた。教授の作図は終わらない。
「分かった分かった」
バッグからノーパソを取り出し、なにげなく開いた瞬間
椅子からズリ落ちそうになった。
液晶画面の2/3を占めていたのは、湯気をたててじわじわと回る、気持ち悪いほどリアルな柚木製・3Dオムライスだった。
背景だけじゃない、アイコンから、カーソルから、メニューバーから、細部に至るまで柚木のオムライス一色で統一されている。今、正面から僕の顔を見たら、画面の照り返しでさぞかしまっ黄色に見えるだろう。
……ともかく、これはちょっとまずい。授業終わったら爽やかに振り向こうと思っていたのに、こんなもんを見られたら、僕がオムライスに対して必要以上に狂喜乱舞してたみたいに思われてかっこ悪いじゃないか。
僕は、即座にノーパソを閉じた。
その瞬間
『食〜べ放〜題〜〜〜〜♪』
……人目もはばからず、頭を
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