第一話 刻限その三
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「おお、牧村君ではないか」
「暫く振りです」
にこりともせずその小柄な老人に返事を返した。
「相変わらずのようですね」
「ははは、何も変わらんさ」
老人はその髭だらけの顔を大きく崩して笑って彼の言葉に応えた。机の上の本はそのまま広げられている。古い紙であちこちが汚れたり破れている。書いてある言葉はそのまま手書きでありしかもどう見ても日本語ではない為彼、牧村にはわからないものであった。
「わしは今こうして本を読んでいるしな」
「ウィーンから取り寄せた本ですね」
「その通りじゃよ」
彼は答えた。
「先日荷物があったじゃろう。大和田源太郎名義でな」
「ああ、この建物への届け物で」
「それじゃよ。わざわざ取り寄せたのじゃ」
「そうだったのですか」
「手に入れるのに苦労した」
この老人大和田教授は感慨を込めた言葉で述べたのだった。
「何しろハプスブルク家の秘蔵品だったものじゃからのう」
「ハプスブルク家の!?」
「ほれ、あのルドルフ二世」
ここで人名が出て来た。
「あの皇帝が持っていた本でな」
「ルドルフ二世というと」
「あの世紀の奇人じゃよ」
教授はその破顔した笑みで彼に述べた。
「世俗を避け様々な珍品を取り寄せてな」
「話には聞いたことがあります」
ここでようやく部屋の扉を閉めた。立ったまま教授と向かい合って話をすることになった。
「それにより彼の宮殿は秘蔵品の宝庫となったそうですね」
「如何にも。この本もまたそのうちの一つじゃ」
「そうでしたか」
「これがかなり面白くてのう」
「面白いですか」
「そうじゃ。読んでみるか?」
「いえ」
牧村はそれは断ったのだった。やんわりとだがはっきりとした声だった。
「それは遠慮させて頂きます」
「何じゃ、残念じゃな」
「ドイツ語は読めませんので」
「これはラテン語じゃよ」
教授は笑って牧村に言葉を返した。
「まあかなり古いがな」
「ラテン語ですか」
「昔の欧州の本は大抵そうじゃ」
笑いながらの言葉が続く。
「マルティン=ルターまで聖書もドイツ語では書かれなかった。それはこれ以前の本じゃな」
「ルター以前ですか」
「おそらくは十五世紀位かのう」
その皺が多いだろうが髪と髭により見えなくなっている首を捻ってから述べた。
「その頃の本じゃ」
「だから手書きですか」
「そうじゃ。まあこの日本で解読できる人間はそうはおらんな」
教授はさらに首を捻りつつまた述べた。開かれているページには虫食いすらある。紙にしろ今俗に使われている紙とは全く違うものであるのがわかる。
「わし位じゃな」
「そうなのですか」
「しかし。本当に面白いことがわかる」
本を見つつの言葉だった。
「何かとのう。そういうことか」
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