第十幕その四
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「その中でもだよね」
「お話も素敵だし」
ホワイティも言いました。
「CDを聴くだけでも素晴らしいよ」
「多くの名歌手が歌ってるしね」
チーチーはこのことをお話しました。
「歴史に残る様な」
「上演されることも多いし」
それでと言うジップでした。
「人気作そして名作であることがわかるよ」
「日本のよさがこれ以上はないまでに出ているし」
老馬はこう言いました。
「素敵な作品だからね」
「本当にプッチーニさん第一の名作じゃないかな」
ガブガブも思うことでした。
「蝶々夫人はね」
「私達先生と一緒に多くの歌劇も聴いて観てきたけれど」
ポリネシアはそれでもと言いました。
「蝶々夫人は特に素晴らしい方よ」
「そうそう、何度観てもね」
「感動するわ」
チープサイドの家族も言います。
「最後まで観たら泣くわ」
「自然とね」
「歌劇の中でも屈指の名作じゃないかな」
「他の作曲家さんの作品も入れてね」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「悪いところがない」
「そこまで言っていい位のね」
「日本人は舞台が日本だけに思い入れが強いけれど」
「そのことを抜いてもね」
「蝶々夫人は名作だよね」
「世界中で人気で豹かも高い」
「名作中の名作だね」
「だからね」
そうした作品だからだというのです。
「ミス=サイゴンも生まれたよ」
「蝶々夫人をモチーフにしてね」
「そうしてだね」
「あの作品も出来たね」
「そうなったね」
「そうだよ、子孫の人達を書いた作品もあるしね」
「そうした作品が生まれる位にね」
「蝶々夫人は名作だよね」
「最高の作品の一つね」
「歌劇において」
「そうだよ、そしてね」
それでというのです。
「この長崎にね」
「今もだね」
「蝶々さんの親戚の人達の子孫がおられるかも知れないね」
「侍女のスズキさんの子孫も」
「そうかも知れないんだね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「今は幸せに暮らしていたら」
「いいね」
「そうだね」
「あの人達はね」
「そうしてくれていたら」
「そしてね」
そうであってというのです。
「中尉の子孫の人達もね」
「そうしてくれていたらね」
「いいよね」
「そうであるなら」
「本当にね」
「そう思うよ、そして今から大浦天主堂に行くけれど」
先生は海から天主堂の方を見てお話しました。
「あちらはカトリックだね」
「そうなんだよね」
「先生は国教会でね」
「宗派が違うね」
「キリスト教でも」
「その違いはね」
このことはというのです。
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