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ドリトル先生の長崎での出会い
第十幕その三

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「プッチーニさんはあくまでね」
「音楽だね」
「音楽の人だったのね」
「そうだったのね」
「そうだよ、ただプッチーニさんはカルフォルニアにも中国にもね」
 そういった国々にはというのです。
「行ったことがなくてね」
「日本にもだね」
「そうだったのよね」
「それでもね」
「それぞれの国の音楽を再現したね」
「それが出来たんだ」
 そうだったというのです。
「これもね」
「才能だね」
「プッチーニさんの音楽の」
「それ故だね」
「そうだよ、そして蝶々夫人は」
 先生はプッチーニさんの他の作品のことをお話してでした、長崎の坂の一番上から海を観てお話しました。
「成功作だけれど初演ではね」
「評判悪かったね」
「何か散々な有様で」
「観客の人達の態度も悪くて」
「酷かったんだったね」
「そうなんだ、もうとんでもない舞台になって」
 そうであってというのです。
「ある晴れた日だってね」
「この作品の中で一番の名曲で」
「作品の代名詞にもなってるけれど」
「歌手の人も泣きながら歌ったね」
「そうだったね」
「そうなんだ、名作だけれど」
 蝶々夫人はというのです。
「これがね」
「初演は散々だった」
「その評価は」
「そうだったね」
「けれどプッチーニさんはその初演の時観客席にいたけれど」
 それでもというのです。
「失敗は初演だけでね」
「後で正当な評価を受ける」
「そう確信していたんだね」
「そうだったね」
「そうなんだ、作曲した人ご自身がね」
 まさにというのです。
「確信していたんだ」
「蝶々夫人が名作だって」
「それですぐに正当な評価を得るって」
「名作と言われる様になるって」
「プッチーニさんはわかっていたのね」
「そうだよ、そして実際にね」
 先生は微笑んでお話しました。
「そうした評価を得ているよ」
「そうだね」
「名作だってね」
「素晴らしい作品だって」
「そう言われているね」
「プッチーニさんは確かに名作が多いけれど」 
 それでもというのです。
「一番の名作は何か」
「そう言われるとね」
「蝶々夫人って言う人もいるね」
「そうだね」
「それ位の作品だってね」 
 その様にというのです。
「言われているよ」
「確かに名作よ」
 ダブダブはきっぱりと言いました。
「プッチーニさんの作品の中でもね」
「確かに名作が多いけれど」
 プッチーニさんにはとです、トートーも言います。
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