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ドリトル先生の長崎での出会い
第十幕その二

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「驚くよ」
「歌劇で西部劇なんてね」
「よく考えたね」
「ガンマンの世界なんて」
「酒場もそうした風でね」
「そうした作品を生み出すのもね」
 それもというのです。
「プッチーニさんの才能でね」
「凄いよね」
「つくづくね」
「そうした作品まで作曲するなんて」
「しかも中国が舞台の作品もあって」
 アメリカの西部劇だけでなくというのです。
「まだあるよ」
「そうだね」
「まだあるね」
「プッチーニさんの作品は」
「トゥーランドット、プッチーニさんの最後の作品になったけれど」
 この作品がというのです。
「中国が舞台でお城はね」
「紫禁城だっていうね」
「北京にある」
「それで京劇も採り入れた」
「衣装も中国の作品だね」
「そうだよ、スフィンクスみたいな謎かけもあって」
 そのトゥーランドットにはというのです。
「音楽も中国風な部分もあって」
「名作だね」
「プッチーニさんは最後まで名作を残してくれたね」
「そうだったね」
「そうだったんだ、名作を多く生み出したんだ」
 そうした人だったというのです。
「とはいっても失敗作と言われる作品もあるよ」
「これだけ名作があっても」
「それでもだね」
「失敗作もあったね」
「プッチーニさんも」
「つばめはね」
 この作品はというのです。
「他の作品に比べてね」
「評価低いね」
「そうだね」
「そう言われてるね」
「そうなんだ、あと三部作という作品もあって」
 それでというのです。
「この作品は変わっていて」
「三幕構成でもね」
「一幕ずつ違う作品だね」
「そうなっているね」
「そうなんだ、外套と修道女アンジェリカとジャンニ=スキッキ」
 そのそれぞれのタイトルも言いました。
「三作品からなっていて」
「それぞれ作風が違って」
「確か神曲をモチーフにして」
「地獄、煉獄、天国だね」
「それぞれそうなっているね」
「そうなんだ、あと脚本はね」
 こちらはといいますと。
「プッチーニさんはこだわりが強くて」
「ラ=ボエームとかはイッリカさんとジャコーザさんが書いて」
「西武の娘やトゥーランドットは別の人で」
「かなりこだわったんだったね」
「そうだったね」
「ワーグナーさんは自分で書いていたけれど」
 脚本もというのです。
「けれどね」
「プッチーニさんは作曲専門で」
「そこは違うね」
「作曲だけで」
「脚本まではしなかったね」
「音楽の才能と脚本のこれはまた違うからね」
 だからだというのです。
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