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ドリトル先生の長崎での出会い
第四幕その六

[8]前話
「素晴らしい教えだってわかるよ」
「そうだね」
「その通りだね」
「仁とか礼とか」
「人のモラルを学べるね」
「そうした思想だからね」
 それでというのです。
「学ぶべきでね」
「それでだね」
「午後は孔子廟も行って」
「そうしてだね」
「孔子さんのことも学ぶんだね」
「論語とかは読んだけれど」
 儒教の本はというのです。
「その他にもね」
「その目で見る」
「そのことも大事だよね」
「何かと」
「そうだよね」
「そうだよ、儒教は儒学とも言うけれど」
 それでもというのです。
「学ぶべきものの一つだよ」
「全くだね」
「その通りだね」
「じゃあ儒教を学ぶ為にも」
「孔子廟行こうね」
「そうしよう、あと中国の宗教は」
 こちらのお話もしました。
「儒教は宗教というより思想で」
「他にあったね」
「この中華街でもわかるね」
「道教があってね」
「そして仏教もあるね」
「そうだよね」
「西遊記を読むとね」
 このあまりにも有名なお話をというのです。
「わかるよ」
「そうだね、一緒に出て来るね」
「道教と仏教が」
「神様と仏様が」
「棲み分けている感じで出てきているね」
「だからね」 
 それでというのです。
「そのことも理解することだよ」
「中国の宗教のことも」
「そうだね」
「道教と仏教がある」
「共に」
「日本もそうだね」
 今自分達が暮らしている国もというのです。
「神道があってね」
「仏教もあって」
「神様と仏様がいる」
「一緒に」
「アジアではそうなんだね」
「東アジアだと」
「多くの宗教が共存する」
 先生は神妙なお顔になって言いました。
「それは素晴らしいことだよ」
「そうだね」
「本来はそうあるべきだよね」
「プロテスタントとカトリックに分かれても」
「争うべきじゃないね」
「そうだよ」
 絶対にというのです。
「私もそう思うよ」
「だからだね」
「道教と仏教が一緒にあってもいいね」
「そして神道と仏教が」
「そうだね」
「そうだよ、あと本当に儒教は政治思想であってね」 
 そうしてと言う先生でした。

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