第三部 1979年
戦争の陰翳
国際諜報団 その2
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快である。
米国の覇権主義に対抗するには、覇権主義で応じるという態度を、ソ連が取っていたからだ。
ソ連は、1940年代前半に米国内で核爆弾の研究が開始すると同時にスパイを送り込んだ。
内部にいる工作員を通じて、技術提供を受けたソ連は、核技術の実験装置とノウハウを手に入れた。
結果として、ソ連は1948年に核分裂に成功し、1949年に核実験を完了した。
その際、ソ連は、核弾頭とその運搬手段である戦略爆撃機の数が米国に比して劣っていた。
重爆撃機の数とその質はソ連時代を通じて、終ぞ米国に追いつけなかった。
その為、フルシチョフ政権下のソ連は、大陸間弾道弾の開発を最優先課題とした。
ロケット学者であるセルゲイ・コロリョフに全権を渡して、新型ロケットの開発を進めた。
しかし、軍艦建造費や戦車等の軍事予算を削って、ロケット開発に入れ込むフルシチョフは1956年の第20回党大会で軍部の批判を浴びることとなった。
フルシチョフは、翌年に中央幹部会で罷免決議をされるも、そこからまき直し、反対派を一掃した。
足場を固めたフルシチョフは、改めてコロリョフに新型ロケットの開発を命じた。
そしてコロリョフは、最新鋭のR7ロケット開発を進めた。
だが、R7ロケットのノーズコーンの耐熱不足という技術的な問題で、ICBM開発で行き詰ってしまった。
もしこのロケットが成功しなければ、自分を推薦してくれたフルシチョフともども失脚しかねない。
そう考えたコロリョフは、R7ロケットをICBMではなく人工衛星打ち上げロケットとして発表した。
1957年当時、国際地球観測年に合わせて世界各国で様々な行事が行われた。
米国はこの機会に乗じて地球観測衛星を打ち上げる予定であったが、失敗する。
その年の10月4日に、ソ連は突如として人工衛星の打ち上げを発表した。
衛星の名前はスプートニク1号で、その事実は全世界に衝撃を与えた。
後の世に言うスプートニクショックとは、このソ連の人工衛星打ち上げの事であった。
ソ連当局はさほど大事件と考えていなかったが、西側の狼狽ぶりを見て、考えを改めた。
翌11月7日の革命記念日に、ライカと名付けたメス犬を載せ、宇宙に送り出した。
ライカは打ち上げの途中で高温に晒されて死亡してしまい、実験は失敗した。
だが生命体を宇宙に送り込むという実験は、全世界に衝撃を与え、その後の宇宙開発の方針を決めてしまう事となった。
このように、ソ連の宇宙開発は核ミサイルが未完成という事実をごまかすための弥縫策であった。
だが西側の反響を見て、ソフトパワーとして使えると認識したフルシチョフによって、宇宙開発は重要視されることとなったのだ。
ソ連は米国とは違い、宇宙開発専門の部局がなく、戦略ロケット軍
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