第七百八十一話 もてるからこそその七
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「ちょっとお金があったらね」
「遊郭に行けたか」
「そして遊べたんだよ」
「他の国と比べてもか」
「他の国にもあったけれどね」
「娼館だな」
「今で言うと風俗店だね」
そうなるというのだ。
「まあそう言ったらね」
「風俗店もあるしな」
「流石に高校生は入られないけれどね」
それでもというのだ。
「あってね」
「それでだな」
「楽しめるし」
「昔は尚更か」
「そうしたお店があってね」
「西鶴さんも遊んでか」
「そうして」
そのうえでというのだ。
「あの作品のヒントを得たのかもね」
「実際に遊ぶ中でか」
「まあ遊郭で遊ぶと」
ベンはここでこうも言った。
「病気になる可能性もあったけれどね」
「性病だな」
「結核とかもあったしね」
「昔は多かったな」
「うん、だから遊郭に行くと」
そうすると、というのだ。
「病気になるリスクもね」
「あったな」
「だから当時は今よりずっとね」
そう言っていいまでにというのだ。
「梅毒の人多かったよ」
「それで助からなかったな」
「西鶴さんはどうか知らないけれど」
今話している人物はというのだ。
「本当に結構ね」
「梅毒になった人多くてか」
「それで命を落とす人もね」
「多かったんだな」
「お話だから何もなかったけれど」
ベンはそれでもと話した。
「男女合わせて四千人以上になると」
「病気になることか」
「あっただろうね」
「六十までに死んでいたか」
「梅毒でね」
事実この時代梅毒で死んだ者は多い。
「そうでなくても当時色々病気があって」
「助からない病気だな」
「結核もそうでね」
「癌もだな」
「あと脚気だね」
ベンはこの病気の話もした。
「あの病気もね」
「昔の日本はあったな」
「それでね」
「死ぬ人が多かったな」
「白いご飯ばかり食べて」
そうしてというのだ。
「ビタミン不足でね」
「死んでいったな」
「うん、だからね」
「六十まで生きられるとか」
「結構凄くて」
そうであってというのだ。
「特に子供の頃にね」
「よく死んだか」
「だから平均寿命短かったし」
江戸時代の平均寿命は二十代後半であった、これは乳幼児の死亡率が高かったことも一因であるのだ。
「本当に六十歳まで遊べたら」
「凄かったか」
「人間五十年でね」
それだけ生きられるのが標準でというのだ。
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