第百五十一話 お気に召すままその二
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「それだけでマイナスだしね」
「それは言えるわね」
「野村克也さんの言うことなんて」
プロ野球の名監督として知られたこの人はというのだ。
「わかりやすかったらしいよ」
「だから選手の人達も成長したのね」
「そうだよ、何でもね」
「わかりやすいことね」
「何か哲学書とかで」
伊東は顔を曇らせて話した。
「小難しい言葉、造語まで出して」
「勿体ぶって言うわね」
「文章だってね」
それもというのだ。
「何書いてるかわからない」
「そんな風でよね」
「もう解読レベルでね」
「わかりにくいわね」
「そんなの読んでもね」
「何か意味ないみたいね」
「それぞれの学問の専門分野の用語なら兎も角」
それでもというのだ。
「やたら小難しい言葉や文章の羅列で」
「ああ、ラノベでもあるわね」
留奈はこう返した。
「そうした作品」
「あるよね、もう登場人物がね」
作中のというのだ。
「これでもかってね」
「小難しい言葉羅列するのよね」
「延々と喋るんだよね」
「漢字を沢山使って」
そうしてというのだ。
「物凄く長い文章書いて」
「登場人物に言わせて」
「それで中身あるのかな」
「難しいことばかり言って」
「多分そういう文章ってね」
伊東は冷静な顔で話した。
「実は中身はね」
「ないのね」
「難しい言葉使っているだけで」
それを長々と羅列しているだけでというのだ。
「何を言っているかわからない」
「難しいこと言ってるとそうよね」
「けれど読み解くとね」
「実は何でもないとか」
「中身のないね」
そうしたというのだ。
「どうでもいいことをね」
「言っているだけで」
「もうね」
それこそというのだ。
「読んでもね」
「意味ないのね」
「そういうのだったりするんじゃない?」
「難しいこと言っていて凄い様に見えて」
「実際はね」
「そういうものね」
「何を書いている時は読者さんはそれを読み解くのに必死になって」
そうした文章を書いている本を読んでというのだ。
「読み解いた難しいことを理解した自分凄いってなって」
「そんな文章書いたこの人凄いなのね」
「そう思ってね」
それでというのだ。
「有り難がるけれど」
「実は中身がないのね」
「実は仏教だってわかりやすいし」
その用語がどういったものであるのか理解すればだ、仏教の教義自体は非常に理解しやすいのだ。ただし実践はそうではない。
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