暁 〜小説投稿サイト〜
冥王来訪
第三部 1979年
戦争の陰翳
柵 その4
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最も新しい1987年の統計でも夫25歳、妻22歳であり、世界的に25歳前後で結婚するのが普通だった。
だからアイリスディーナは、ミラが2年ほど前に結婚したと聞いて、驚いていたのだ。
 早婚の文化圏に生まれ育った彼女の感覚からすれば、篁もミラも遅い結婚だった。
マサキが子供のおままごとと言っていたユルゲンとベアトリクスの結婚はよくあるもので気にならなかったのだ。
 むしろ、25を超えて独身だったマライ・ハイゼンベルクなどは、東独社会では異質だった。
20歳を過ぎた女性が独身でいると、いろんな意味で変人の扱いだった。
 逆に西独では初婚年齢が遅れる傾向にあった。
1989年の統計によれば、夫28歳、妻26歳だった。
妙齢のココットなどがマサキに粉をかけてきたのにはそういう理由があったのである。
 東独と違い、西独では専業主婦が一般的だったので、職業婦人といえば独身が基本だった。
その為、国家公務員のキャリアウーマンなどは独身が多く、シュタージのロメオ工作員の餌食になった。
 人生の大半を自己実現に使ってきた彼女たちは、シュタージ工作員の手練手管に圧倒され、簡単に協力者になった。
中には結婚詐欺に近い状況や、スパイになった事を恥じて命を絶つという事態になることも多かった。
 だが大多数は自己保身のため、事件化せずに、シュタージやKGBの暗躍を許してしまう事になった。
そういう時代だったので、BND対ソ部長を務める女性がシュタージ工作員であるという悲劇が起きる遠因となった。

 自由社会であった英米もまた、婦人解放運動のあらしが吹き荒れた。
それまで既婚女性の雇用が禁止されていた公務員にも雇用が認められ、男女間の不当な格差は排除される傾向にあった。
 婦人参政権は1920年代にすでに実現していたが、医師や弁護士、建築士や設計士などの知識層に門戸が開かれたのは遅かった。
1970年代にはいると雪崩を打って女性がそれらの仕事に就いたが、性差別や猥褻行為は無くならなかった。
 だが時代が進むと男女平等が徹底され、それまで認められていた扶養控除や出産手当が性差別とみなされるようになった。
 そして、欧米の行き過ぎた性解放運動は、プロ野球やサッカーのリーグまで及んでいる。
男性のみのプロサッカーチームはおかしいとか、プロ野球に女子選手がいないのは差別といった具合である。
 この流れは、今日(こんにち)、世界中を荒らしまわっているポリティカル・コネクト運動へとつながっている。
白く化粧をした共産主義である婦人解放運動を何処かで止めねば、この世界の女性の多くは不幸になるだろう。
 キブツという共産主義的な共同体での実験を行ったイスラエルでさえ、職業の性差は解消できなかった。
恐らく女性が家庭に入って、家族のサポートをするのは脳の
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