第一章
[2]次話
アナーキズム
政府も法律もない完全に自由な社会、それを目指すのが無政府主義即ちアナーキズムというものである。
その無政府主義を目指している木与波羅和弘は常に言っていた、丸坊主で面長で丸い目である。大柄で人相は極めて悪くその筋の輩にしか見えない。事実彼はスポーツ選手だったが引退後そうした連中と付き合い悪質な仕事に手を染めている。その彼の言葉だ。
「ほんま政府とか法律とかいらんわ」
「そんなものを全部なくしてかい」
「そや、それでや」
昔から付き合いのある今は大学教授をしている鍬田真純黒子の多い四角い顔と小さな目を持つ一七五位の背の引き締まった体格の彼に居酒屋で一緒に飲みつつ話した。
「完全に自由な社会にすべきか」
「それは駄目だ」
鍬田はその木与波羅に真顔で答えた。
「絶対に」
「それが秩序を破壊するからか」
「そうだ、そんな社会がどうなるか」
鍬田は真顔で言った、見れば彼は赤ワインを少しずつ飲み冷ややっこや枝豆を食べている。
「言うまでもないだろ」
「そうか?」
「法律がなくてどうするんだ」
鍬田は冷静な顔と声で言った。
「一体」
「わし等縛るもんなくなる」
「いや、悪い奴が悪いことしてな」
そうしてというのだ。
「誰が裁くんだ」
「裁かれるなんて嫌やろ」
「嫌じゃない、悪人が野放しだぞ」
鍬田はさらに言った。
「どれだけ恐ろしいか、それにだ」
「それに?何や」
「政府がないとな」
その無政府主義の語源の話もした。
「お役所も警察も軍隊もないんだぞ」
「それで完全な自由や」
「いや、行政のサービスがなくなって」
政府が存在しないならというのだ。
「福祉も教育もなくなるんだ」
「学校なんか行かんでええわ」
「福祉はどうなるんだ」
「怪我も病気もせんとええやろ」
「じゃあ病院や薬局もいらないのか」
「診察受けへんでええ、わし今糖尿病やが」
木与波羅は自分のことを話した、日本酒をガブ飲みし肉でも何でも下品に貪り喰らいながらそうした。
「色々医者に言われてうざいわ」
「節制しないと駄目だぞ」
「血糖値が九百なんて有り得へんって言うてな」
「九百!?お前それは大変だぞ」
鍬田は木与波羅のその血糖値に仰天して忠告した。
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