第三十五話 大阪でのデートその十三
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「すぐそこにあるでしょ」
「豚まんの蓬莱もアイスキャンデーの北極も」
「だからね」
「織田作さんが長生きしていたら」
「そうしていたらね」
それならというのだ。
「もうね」
「そうしたものも食べていたのね」
「きっとね」
「そう思うとそんなに離れた時代の人じゃないの」
「私達の年齢だと離れていても」
令和の高校生としてだ、真昼は答えた。
「一九七〇年代生まれ位の人だと」
「そうは感じないのね」
「ええ」
そうだというのだ。
「結構近い時代の人だってね」
「思われるのね」
「そうした人よ。一九七〇年代だったら」
その頃ならというのだ。
「太宰治だって生きていたかも知れないし」
「あの人もなの」
「自殺したけれどね」
昭和二十四年、一九四九年六月十三日のことだ。この日を桜桃忌という。太宰の作品から取られて名付けられた。
「それでもね」
「昭和五十年代にはなのね」
「まだね」
太宰もというのだ。
「生きていたかも知れないわ、自殺しなかったら」
「そうだったら」
「それで太宰も結核だったけれど」
自殺する直線その病状はかなり進行していたという。
「けれどね」
「それでもなのね」
「年齢的にはね」
「生きていたかも知れないのね」
「織田作さんもね」
彼もというのだ。
「だって昭和五十年でもね」
その年でもというのだ。
「六十二歳だから」
「あら、そんな風なの」
「今だと百歳越えるから」
彼が生きているならというのだ。
「流石にね」
「生きておられないわね」
「そこまで長生きはね」
「そうはないわね」
「けれどね」
それでもというのだった。
「昭和五十年位だとね」
「結核じゃなかったら」
「まだね」
それこそというのだ。
「生きておられたかもね」
「そんな年代なのね」
「そうよ、思えばね」
真昼はしみじみとした口調になって言った。
「織田作さんは若くしてだったわ」
「三十四歳ね」
「本当にね」
まさにというのだ、
「若過ぎたわ、当時はよくあったけれど」
「結核で、って人は」
「今は癌で、って人が多いけれど」
それでもというのだ。
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