第三部 1979年
戦争の陰翳
険しい道 その3
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場面は変わって、東ドイツの首都、東ベルリン。
正午過ぎより始まった政治局会議では、昨日の西ドイツでのスパイ一斉摘発が議題となっていた。
西ドイツ要所に配置したシュタージ工作員が軒並み逮捕され、そこから入る情報が失われたのは大きかった。
一応、対抗策として、東ドイツは西側へ亡命希望者や政治犯を国外追放処分にし、解決を図った。
政治局会議で、問題になったのは西ドイツに入るシュタージとKGBの二重スパイに関する扱いだった。
以前であれば、KGBにお伺いを立てて、微罪で逮捕した外人などと引き換えに、ベルリンでスパイ交換をするのが常だった。
だが、BETA戦争で、米国による資金援助が増えたことと、KGBが仕掛けたクーデター未遂事件以降、ソ連との関係が急速に悪化したことで、以前の様なスパイ交換は出来なくなった。
西独当局に捕縛されたシュタージ将校を救うために、西独の旅行者を逮捕するという荒業もあった。
だが、今後の影響を鑑みれば、それは無理だった。
現在の東独は、国家予算の殆どを西独の資金援助に頼っており、資金が立たれる恐れの方が、恐ろしかった。
つまり東独当局は、スパイ救出より目の前の金を選んだのだ。
会議の座上、非難は シュタージの対外部門、中央偵察総局に集まった。
同局には、スパイ活動や破壊活動とは別に、政治偵察部という部署がある。
政治偵察部は、KGB第一総局諜報対抗部(通称А部)をモデルに設置された機関である。
相手国の世論を自国に優位に導く宣伝煽動を主とし、それぞれ第一課と第二課が存在した。
(アジプロとは、アジテーション・プロパガンダの略語で、ソ連などでは多用された)
第一課は対外交策が基本で、米国およびNATO加盟諸国、中共、親米英の姿勢を示す後進国であった。
潜入工作の他に、国際テロリズム支援や、共産国への軍事顧問団派遣を実施した。
ソ連KGB工作員と共にモザンビークに軍事顧問団を派遣し、モザンビーク軍の制服を階級章なしで着こみ、現地人を背後から煽動していた。
第二課は、政治宣伝、スパイ工作の後方支援などである。
西ドイツの首都であるボンでの政治宣伝の他に、各官庁に広がった諜報網から機密情報を詐取していた。
そして、同じ友邦条約諸国であるポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーなどにスパイを派遣していた。
現地の対外諜報機関との連携の他に、監視のためであった。
シュタージは、KGB以外の諜報機関を決して信用しなかった。
他国の諜報機関とは違い、シュタージ立ち上げ時からKGB生え抜きのマックス・ヴォルフが長官を務めていたこともあろう。
またシュタージは、KGBの指示がなければ動けない機関であるように最初から作られていたのも大きい。
それ故に職員たち
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