第三部 1979年
戦争の陰翳
険しい道 その2
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国するしかなかったのだ。
東ベルリンに入ったブレヒトは、ソ連と東独政権から歓迎され、即座にベルリナー・アンサンブルと自分の劇団を持つことを許された。
体制批判を得意とする作家は、即座に党幹部から敵視されるも、国際世論を気にし、彼は死ぬまで自由にふるまえた。
だが彼の死後、関係者は逮捕され、その一部が炭鉱での重労働刑に処されるなど、厳しい対応を受けた。
そういう経緯があったので、ブレヒト最晩年の弟子であるトマスは、なにかと敵視される傾向があった。
つまり、トマスは自由業申請をした日より、シュタージの捜査対象であったのである。
東独は、ソ連型の非情で冷酷な監視国家である以上、避けられないことであった。
秘密警察シュタージの目を逃れ、自由な環境で創作活動をするにはシュタージのスパイになるか、亡命しかなかったのだ。
この一作家の家族の運命は、天のゼオライマーによる東独への武力介入が起きなければ、どうなった事であったろうか。
あの時、KGBの手によって、木原マサキが誘拐され、東ベルリンのソ連大使館に連れ込まれなかったら、起きえなかったことであった。
ソ連大使館前でのソ連警備兵と、シュタージのフェリックス・ジェルジンスキー連隊の銃撃戦が起きなかったのならば、シュタージファイルの複写をしていたアクスマン少佐はソ連兵に撃たれなかったであろう。
アクスマンの銃撃事件によって、それまで隠していた悪行の数々が議長の目に止まり、彼は解雇されなかったであろう。
密かに先斬後奏を受け、失意のうちに世を去ることもなかったろう。
もし、アクスマンが生きていたら、追放刑を受けた関係者はどうなっていたか。
シュタージに監視されていた、トマスやマレーネ、娘のリィズや息子のテオドールはどうなったかであろうか。
それは、神のみぞ知る運命であった。
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