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冥王来訪
第三部 1979年
冷戦の陰翳
険しい道 その2
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され、職業活動が禁止された。
 東西ドイツに知名度があり、西ドイツで出版活動のできる作家や海外公演の出来る監督や俳優は何とかなった。
だが、医師や教師は診察や研究そのものを禁止されたので、文字通り死活問題だった。
 ちなみに、1979年当時の作家同盟の会長はヘルマン・カント(1926年−2016年)という男で、彼はシュタージの秘密工作員だった。
9人の作家による選集「ベルリン物語」が作成されそうになると、彼らをシュタージに密告し、除名処分にした。
 カントは東独文学界を指導する立場であり続け、あらゆる栄誉に包まれた。
統一後の1990年代に、シュタージ工作員が露見すると、田舎に隠居し、悠々自適の暮らしを行った。
そして、時折マスメディアに平然と顔を出しながら、過去を反省することなく90歳の大往生を遂げた。

 トマスの一人娘であるリィズは、ホーエンシュタイン家がシュタージに目を付けられたのは党幹部子弟との喧嘩が原因だと考えていた。
実はリィズ自身もなんども、総合技術学校の上級生の男子から声を掛けられ、遊ぶように誘われることがあった。
 だが上級生の卑しいうわさを知っていたリィズは、演劇活動を理由に交際を断り、上級生をがっかりさせたことがあった。
上級生の父は、国家人民軍の露語通訳で、将校待遇の軍属だった。
 公共・公安関係の職種に就く人間は反体制的な言動ばかりか、西独に親族が多いだけでも警戒した。
シュトラハヴィッツ少将のように戦前からの友人がいて、交際している程度なら黙認されることもあったが、あまりに露骨な場合は強制的な辞職に追い込まれた。
辞職しても、再就職先は経験を生かせない炊事婦やウェイター、炭鉱労働者などの肉体労働者になるしかなかった。
 自由業者の営業の自由はなかったが、闇屋は別だった。
堂々と新聞に中古車譲渡の広告を載せて中古車を販売したり、国営企業から盗品を使って家のリフォームなどをするのが横行するほどだった。
 国営企業からの盗品は、広く共産圏にみられる光景である。
給与の遅配が一般的だったソ連などでは、工場の終業のチャイムが鳴ると、備品を持ち出すのが当たり前だった。
 1990年にある大学教授が、ソ連をバイクで冒険した際には、そのような事例を目撃したという。
 モスクワ近郊のトリヤッチ市の自動車工場を訪問した時である。
終業のチャイムと同時に、従業員の殆どは、自動車のフロントガラスやドアを抱え、正門から帰宅を急いでいた。
気になった教授が彼らに確認したところ、堂々とエンジンやワイパーまで持ち出す最中だったという。
 宗主国、ソ連でそうなのであるから、東独内部の規律弛緩や汚職もひどかった。
同様な事例は、東欧やソ連関係者の回顧録や見聞録に枚挙にいとまがない。
 共産主義の言うところの、「
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